人々が将棋に求めているもの
触れる前は棋士の敵になるかもしれないと考えていた人工知能が、将棋という無限の宇宙を探究する同志であり、時に教師であるように思えてきた。気づけば胸に渦巻いていた危機感は消えていた。朝から夕刻まで、時には夜半まで誰とも会わずにパソコンと向き合っていても、豊島はそれを孤独だとは感じなかった。
第3回の電王戦、豊島はYSSという将棋ソフトと対局した。個人では勝ったものの、別のソフトと対局した他4名の棋士が全員敗れて、全体としては人工知能に軍配が上がることになった。だが、危惧していたような事態にはならなかった。大会を見つめる世の中の反応は想像していたものとは違っていた。人々は棋士が敗れても将棋から離れていくことはなかった。むしろAIソフトの出現に葛藤する棋士たちの姿や、敗北の後に彼らが指す一手に視線を注いでいるようだった。
その光景を目の当たりにして、豊島は確信した。人間が指す将棋というゲームが、棋士という職業が消えることはない。どんな棋士にも一手一手にその棋士だけの個性やストーリーがあり、人々はそれを求めているのだと。
豊島はこの棋聖戦が開幕する前、主催新聞社に揮毫を依頼された。その時に浮かんだのは「心」という一文字だった。それは、人が持つもの、人工知能が持つもの、それぞれを知った上で辿り着いた境地だったのかもしれない。
豊島にも自分だけのバックボーンがあった。そもそも将棋を始めたばかりの頃、ある人物に出会わなければタイトル戦の場に立つこともなかったはずだった。


