「体験がデザインされたキャンプ」とは?
あるキャンプでは、最後までアクティビティに一切参加しない子どもがいた。カウンセラーは参加を促すがうまくいかず、その子が仲間からいじめられるようになると、自らの力不足を悔いた。
「しかし最終日、その子はカウンセラーに『僕はこのキャンプ中に、図書館の本をぜんぶ読んだよ』と嬉しそうに言って、親元に帰っていったそうです。それぞれの子が、それぞれの時間を過ごす。それこそ、僕たちが大切にしたい体験です」
そういう環境を提供することがキャンプ屋の腕の見せどころ。主催者の意図通りにことを運んだり、常に一致団結する予定調和的な集団をつくるだけでは、「体験がデザインされたキャンプ」とは呼べない。
体験学習とは、本来、ある活動で得たものを実生活に活かすための手法である。しかし、「体験すること」自体が目的化すると、そこに関わる大人も子どもも、いずれ実生活において自然や人間関係を「消費」するようになる恐れがあると阪田さんは警鐘を鳴らす。
「自然を消費する」とは、自然を目的達成のための道具と見なすこと。「関係性を消費する」とは、損得勘定で人間関係を築くような態度を指す。
「たとえば無人島に鶏を連れて行って自給自足をする。卵を食べて、最後にその鶏を絞めて食べるかどうかを全会一致するまで議論させる活動もあるそうです」
メディアでは「命の教育」などと紹介されることも多いが、阪田さんは疑問を呈する。
「でもそこには必然性も偶発性もありませんよね。大人が勝手に究極の選択をつくって、子どもたちに迫っているだけ。大人の自己満足です。子どもは本来鋭いから、その『やってる感』は見透かします」
絶対に「キャンプどうだった?」と聞いてはいけない
阪田さんの師匠にあたるアウトドアの達人、森本崇資さんもまた、その哲学を体現する一人だ。
彼は自身のキャンプを「満たさんキャンプ」と名付け、「やることは自分で見つけんねん! 言われたことをやっても、おもんない」と子どもたちに笑いかける。そして、迎えに来た保護者にはこう釘を刺す。「絶対に『キャンプどうだった?』と聞かないでください!」。なぜか。
その質問の無自覚な意図は、自分が選んで参加させたキャンプが正解だったのかを確認したいだけ。そう聞かれると子どもは反射的に「楽しかった」と言うだけのロボットになってしまうのだという。
親が聞かずにいれば、子どもは何かを発するはず。無我夢中でご飯を食べたり、「足痛ぇ」ってぼそっとつぶやいたり、食べたと思ったらバタンと寝たり。「そういうところから子どもが何を体験したのかを想像する力をもつ。親にはそれが大切ですよね」と森本さんは語る。

