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「平成」の考案者、山本達郎氏の“ノーコメント”

——現在では「平成」の考案者が東洋史学者の山本達郎氏であることが、事実上判明していますね。当時、山本氏への取材ではどんな印象を持ちましたか?

 考案者とされる学者の中で一番堅い人でした。明らかに元号については口をつぐんでいる方で、質問に対して「ノーコメント」だったか「そのことにはコミットしません」だったか、とにかく遮断された記憶があります。ただ、山本先生については、有力な考案者の可能性が高い、と思う根拠がありました。山本先生のお嬢さんのご主人が、中曽根首相の首相秘書官だった福田博さん。外務省の条約局長を務めて、最高裁判事になられた方ですが、中曽根政権時に夜回り取材で福田さんとお話しした時だったかな、義理のお父上が東大の東洋史の先生だと聞いたのを思い出したんです。元号というのは、ある意味で政治案件ですから、往々にして縁というものを無視できないところがあると思うんです。これも、今となってはの話ですが。

山本達郎氏 ©時事通信社

——当時はまさに「元号スクープ合戦」の様相を帯びていたのだと思いますが、他社の取材が気になることはありませんでしたか。

 それはもちろんです。後から聞いた話になりますが、朝日新聞がコンピュータを駆使して新元号を予測して、小渕官房長官に当てた話もありますよね。そこには「平成」も入っていて、小渕さん「心臓が止まりそうになった」という。そういう他紙の動きもありますし、テレビも取材攻勢が激しかったですね。フジテレビは有賀さつきさんと結婚した和田圭さん、解説委員になった反町理さん、テレビ朝日は鹿児島県知事になった三反園訓さんがいました。NHKは我々が知り得ない情報を時折ご存知でしたね。

「おい、取れたぞ」からの大激論

——昭和天皇が崩御した1月7日の当日、新元号をめぐっても各社はめまぐるしく動いていたと想像しますが、毎日新聞社内はどんな雰囲気だったのでしょう。

 当日の午後2時過ぎです。私のすぐ近くに座っていた政治部の橋本達明デスクが「おい、取れたぞ」って言うんです。すぐに新元号のことだと理解したんですが、そこからが社内で大激論です。先ほど述べたように毎日新聞は過去に元号誤報をやっている。ですから「60年前に間違えて、また間違えたらえらいことだぞ」という慎重論は強く出ましたし、一方で「間違いない筋からの情報だから、一刻も早く活字にしてスクープにすべきだ」という意見も出ました。

 

——その時、榊さんはどういう思いだったんですか?

 すぐにでも新聞に印刷して、このスクープを公にしたいと気が気でなかったのですが、まだ30代のペーペーの記者でしたから、何かを言える立場じゃなかった。この特ダネは官邸のある記者が然るべき筋から得た情報で、それが官邸キャップ、橋本デスクへと取り次がれたものでした。自分が何かをして得たものではありません。ただ、大スクープに関わりたいという気持ちは大きかった。結局、社内では慎重論に押されて、2時36分の官房長官会見の発表を待って号外と夕刊を印刷することになりました。ただ、号外の予定稿で「〇〇」としてあった箇所に「平成」の2文字を書き入れた時のことは、忘れがたいですね。

新元号を伝える毎日新聞号外。「平成」には「へいせい」とルビが振られている

——官邸の記者がどの筋で「平成」を入手したのか、榊さんはご存知なのですか?

 特定の誰とは聞いていませんが、なるほどそこか、という思いを持ちました。おそらくどの社もマークしていない、広い意味での官邸の住人。取材源の秘匿もあるため、記者の名前もずっと伏せられたままなんです。