すべてを決定づけた横浜開港

 以後、横浜は国際貿易港として目覚ましい発展をみせる。

 一方で、旧宿場町の神奈川はすっかり横浜の脇役という立場に甘んじることになる。横浜と神奈川の関係は、開港地がどこになるかという点において、すべてが決定づけられたのである。

 

 とはいえ、明治に入ってすぐに神奈川の地位が急落したわけではない。すぐには神奈川と横浜を隔てる海が埋め立てられることもなく、いわば港湾都市・横浜と旧宿場町・神奈川が海を隔てて向かい合う状態が続いていた。

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 そういう事情があったからなのか、1872年に鉄道が開業すると神奈川駅が設けられている。

 

 その場所はホテルメッツなどがあるあたり。青木橋から見て少し南側だ。この時点ではまだ横浜駅は現在地にはなく、桜木町駅が横浜駅を名乗っている。

 横浜駅と神奈川駅というふたつのターミナルが、新旧ふたつの町にあったのだ。

 

 さらに1905年には京急線、1926年には東急線が開業して神奈川駅を設け、一時的にせよ横浜方面の終着駅になっている。

 東海道線の神奈川駅は1928年に現在の横浜駅に吸収される形で廃止されてしまったから、3つの神奈川駅が鼎立していたのはわずか2年。

 旧宿場町の神奈川が、横浜とはある意味独立した形で存在した、最後の時代だったのかもしれない。