アパレル企業と歌舞伎町、昼と夜のWワークで手術費を稼いだ

――日本に戻ってきてからはどうしたんですか。

矢神 戻ってからはホルモン注射や豊胸を始めるんですけど、そこでお金がないと何もできないという壁にぶち当たるんですよ。それで手っ取り早いのは、夜の仕事で稼ぐか、正社員になって手厚い雇用を受けながら、銀行からローンを組んで手術をするっていうところにたどり着いたんです。

 だから、アパレルの企業に就職をして、正社員になって、銀行からローンを組んで整形しました。同時進行で、歌舞伎町で内緒で働いて臨時収入にしていました。

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©深野未季/文藝春秋

――アパレルではどんな風に働いていたんですか。

矢神 アパレル企業にアルバイトで入ったんですが、そこで顧客獲得数が全国第3位になったんです。3カ月連続でトップ3に入って「こいつは誰だ」となって中途採用の試験を受けて正社員になって。入社式では代表で挨拶もしました。

 最初はメンズに配属されたんですが、おしゃべりがうまいから売り上げが上がって。後半はレディース売り場に配属が変わったんですが、平日の昼は主婦層がメインで、その方たちの愚痴や恋話を聞いていたら常連になってくれて、そのついでに服も買ってくださることが多かったです。

 昼夜ダブルワークでお金も貯まったので性別適合手術をするんですけど、その時に会社の社長に連絡して「性別適合手術で有給が使えないのはおかしい」と言って有給を取ったんです。アパレル業界って有給を取れない企業も多くて、使っている人がほとんどいなくて。それを快く思わない先輩たちがたくさんいて。「なんであいつだけ有給を取って」と風あたりが強くなったんですよ。それがきっかけでアパレルは退職しました。

23歳で受けた性別適合手術の感想は……

――有給を取って冷たくされるのは理不尽ですね……。性別適合手術を最初にしたのは何歳の時ですか。

矢神 23歳の時にタイで最初の手術をしました。感想ですか? もちろん嬉しかったですよ。それまでは女性用の下着とかも物理的にはきづらいし、デニムをはくともっこりするんですよ。それを一生懸命隠さなきゃいけないからシンプルに邪魔でした。

 ただ、ないところに穴を掘る手術なのですごく血が出て、歩くと擦れるし全部が患部だから痛くて歩けないんですよ。車椅子に乗って帰国しました。