――夜の仕事はうまくいっていたんですか。

矢神 全然うまくいかなくて。23歳の時に歌舞伎町の「ひげガール」に入ったんですけど、最初の時給が「ドン・キホーテ」より低くて(苦笑)。売り上げ次第で変動するんですが、私は全く売れてなかったです(笑)。ただ有名な店なので、芸能関係や業界の偉い人も来ていて、色々と情報が得られるんですよ。整形に関する情報も店で得ました。

 今みたいにSNSに整形アカとかなかったんで「あそこの美容整形外科がうまい」とか、そういう情報って貴重なんですよ。私は骨を削ったんですが、経験者もなかなか周りにいない。ただAV女優の子は内緒で骨を削っていたりするので、その情報を得ることができました。

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――矢神さんは整形にこれまで2000万円以上を使ったことを公言されていますが、メディアで「可愛いって、最高じゃないですか。不細工のまま生きるのは絶対にイヤ」と発言したことが物議をかもしました。

矢神 私は「整形しろ」とか「ブスは死ね」と言ってるわけじゃないんですよ。私自身、不細工だといじめられたり、容姿に悪口を言われてきた人生だったんです。それが整形をしたことで、みんなに綺麗と言われるようになった。2つの人生を生きているんですよね。その経験があるから「私は綺麗になって人生得した」と思ってるんです。

©深野未季/文藝春秋

「ダウンタイムが2年くらい」計2000万円超の整形でキツかったのは……

――整形を最初にしたのはいつ頃ですか。

矢神 18歳の時に二重手術をしたのが最初ですね。そこからおっぱい、あご、えら、頬骨、おでこ、植毛、全身脱毛、脂肪吸引、脂肪注入、全てやってます。手術は日本国内ですね。

――整形して綺麗になると周りの反応がずいぶん変わったそうですね。

矢神 骨を削ったタイミングでめっちゃ変わりました。ただ骨を削る手術を勧めるわけじゃないんですよ。リスクが高いから。ダウンタイムも凄く長くて、2年くらい顔がはれて、不細工な顔でした。

――ダウンタイムが2年間もかかるんですね。その状態でお仕事をされてたんですか?

矢神 性別適合手術を受けて、24歳の頃には戸籍も女性に変わっていたので、元男性だってことはオーナーに伝えて歌舞伎町のガールズラウンジで働いていました。その時は、よくしゃべる、ちょっとブスな女の子みたいな感じで。おしゃべりでカバーしてましたね。そのおかげで場回しもうまくなりました。話の間だとか、その人の欲しがってること、今日何しにお店に来ているかを読む力が、研ぎ澄まされていきましたね。