畑の大豆は、カラカラに枯れると根付きのままで引き抜かれ、ニオに積み上げられてさらに乾燥させられる。この大豆を好んで食べにくるのがキジとシカで、エゾノウサギもまた、よく現われた。

闇の向こうには、ぼーっと浮き出た大きな獣の姿が…

 その日の夕刻、ニオに積み上げる作業をしていた人たちが帰った頃を見計らって、大友老人は銃を取って家を出、畑の縁近くにある豆ニオの根方に坐り込んで、また出てくるであろうシカを待った。

“熊撃ち名人”を襲った手負いヒグマの恐怖などが克明に綴られた名著『羆吼ゆる山』(今野保著、ヤマケイ文庫)

 夕陽が山の端に沈むと、辺りはしだいに宵闇に包まれてゆき、見通しははっきりとは利かなくなった。老人は、一頭の牡ジカが多くの牝ジカを引き連れて闇の中から現われる有様を思い浮かべながら、耳をすましてその気配を窺っていた。

ADVERTISEMENT

 突然、パリパリと、豆殻のはじける音がした。さっと銃を手に取り闇の向こうに目をこらした老人は、二十メートルほど先の豆ニオのそばに、夜目にも黒く、ぼーっと浮き出た大きな獣の姿を見た。

 すでに弾込めのできている村田銃を肩に付け、その黒い大きな獣の真ん中に狙点を定めて静かに銃把を握りしめた。ダーンと銃声が闇を切り裂き、一瞬のうちに獣の影は消え、かすかに小笹の触れ合う音がした。

 二弾目を薬室に送ってから、老人は豆ニオのところにゆっくりと近づいていった。やはり、獲物の姿はそこになく、ただ豆ニオだけが黒い影となって立っていた。

 暗い藪の中を探すわけにはいかない。だが、確かな手応えはあったから、獲物はそんなに遠くまで走れはしない。“明日の朝、探すことにするべよ”と思い定めて、老人はそのまま家に帰ってきた。

“あっ、まだ生きているんだ”

 翌朝、腹ごしらえをすませてから銃を背に家を出た老人は、まだ働く人の来ていない豆畑に足を運び、件(くだん)の豆ニオのところへ行ってみた。思ったとおり、シカの足跡があった。銃で撃たれた際、飛び跳ねて付いたと思われる、深い足跡も残っていた。畑の縁には、走り去るときに付けたものであろう、荒く搔いたような足跡もあり、シカはそこから小笹の藪へ逃げ込んだものと思われた。さらに笹藪の中へ入ってゆくと、多量の血が付着した笹の葉が見出された。銃弾はシカのどこかに命中していて、しかも相当な深手を与えているものと見受けられた。

 流れ出た血の量から推して、獲物は近いとみた大友老人は、小笹の中に付いた血の跡を追って、ゆっくりと上っていった。やがて小笹の藪は尽き、そこから上は、大小のカシワの木が密生した斜面がえんえんと続いていた。豆畑から百メートルあまりも来たと思われたとき、前方十メートルほどの古いナラの切り株の近くで、チラリと動いたものが目についた。その切り株の辺りは、今では根元の周囲に灌木や雑草が生えてボサ藪となっている。そのボサの陰から、鹿の足がにゅっと突き出て、宙を蹴っているように見えた。“あっ、まだ生きているんだ。そうか、急所を外れているんだな”と思った老人は、一歩一歩ボサ藪に近づきながら背中の銃をおろしてシカ弾を装塡し、左手に銃を下げて立ち止まった。ひと思いに息の根を止めてやるつもりで、シカの全身が見える位置を目で探した。再び歩き始め、ボサ藪の右側に回ってその裏側に出、シカがいるはずのボサ藪を振り返ったとき、はっとしたように老人の足が停まった。