漫画家として再起することをめざし、寝る時間を削りながら『ボオ氏』を描いていた頃だけに、
「もうやめてくれよ。漫画に集中させてくれ」
詩集が売れたのは嬉しいけれど、その心境は複雑だった。
この処女詩集が発行された翌年には、手塚治虫からも映画アニメ『千夜一夜物語』でキャラクター・デザインをやってほしいと依頼された。彼が設立した虫プロダクションが全力をあげて、200人近いスタッフが関わる大作だという。
手塚とは漫画集団の会合や忘年会で何度か顔をあわせ、テレビ番組で一緒に仕事をしたこともある。しかし、さほど親しい間柄とはいえない。漫画界の巨匠と便利屋のやなせでは接点がなく、会えば挨拶をする程度の薄いつきあいだった。そういった人が経験のない仕事を依頼してくる。
エロチックなシーンもあった『千夜一夜物語』
もう慣れっこで不思議に思うこともなくなっていたから、
「いいですよ」
これも躊躇することなく引き受けた。アニメ映画の仕事は初めてだが、まあ、いつもと同じでなんとかなるだろう、と。便利屋稼業がすっかり板についている。
手塚を慕う若い漫画家は多いのだが、漫画界には彼を批判する敵も多かった。漫画の仕事から離れているやなせは、そういったところからも距離を置いている。漫画のことに詳しい人物でありながら、漫画界の面倒事を持ち込まれる心配もなさそうだ。やりやすい人物と見て取ったのだろう。
また、手塚が設立した虫プロダクションは『鉄腕アトム』など子ども向け作品を中心に作ってきたアニメ制作会社だった。しかし、『千夜一夜物語』はもっと上の年齢層が対象で、エロチックなシーンも随所に盛り込まれている。それにあわせたキャラクターを設定せねばならず、スタッフには戸惑いがある。そのあたりでも、大人漫画で培ったやなせの感性に期待していたようだった。
昭和44年で興行収入2億9000万円のヒット
やなせは、そんな手塚の期待にみごとに応(こた)える。彼の手が加わったキャラクターは、これまでの虫プロの作品にはない独特の雰囲気を醸していた。それが作品のテーマにもよく馴染んで試写会の評判は上々。昭和44年(1969)6月に劇場公開されると、同年の邦画配給収入第5位の2億9000万円を記録する大ヒット作品になった。