チームメイトもファンも「敵」と思うくらいがちょうどいい
私は現役時代、自分のチームを応援するファンたちを絶対的な味方だと思ったことはない。むしろ「敵」ぐらいに思うこともあった。彼らは活躍すればやんやの拍手をくれるが、失敗すればボロカス言ってくる。絶対に言わせてなるものか。負けたくない。
「男子門を出づれば百万の敵あり」「男は敷居をまたげば七人の敵あり」……100万なのか、7人なのかはともかく、男が社会に出るということは、多くの敵対する人物や敵対する状況に直面するものだという戒めの言葉だ。とかくこの世には激しい生存競争があるのだから、ぼけぼけしていては食いものにされるだけだ。そんな世界観を示したものだろう。
どうだろう、今やそんな言葉を持ち出す人も少なくなり、緊張よりはリラックス、ハードワークよりも休養、厳しさよりも優しさ……というご時世だ。会社員の世界では、病気にならず、心穏やかにすごすための大切な心得かもしれないが、プロ野球選手がそんな緩いことを言い出したら世も末だ。
鶴岡親分の言葉、「グラウンドには銭が落ちている」は現在でも生きている。試合に出た者、試合で活躍した者がより多くの報酬を手に入れることができる。そこにあるのは厳然たる競争だけ。志を同じくして勝利を目指す仲間も、そういう意味では「敵」である。
ファンに向かって「うるせえ、町人ども!」と怒鳴りつけた名選手
いつでも「敵」と戦っているというと張本勲さんを思い出す。巨人時代、広島市民球場で試合中のゴタゴタに怒ったファンが、試合後に巨人の移動バスを取り囲む騒動があった。張本さんは、バットを片手に窓を開けて、「うるせえ、町人ども!」とどやしつけた。昔は街中で大立ち回りをしたほどケンカっ早く、またケンカが強い張本さんだったので、大人数を相手にしてもひるまない。
それもすごいが、「町人ども」という言い方がすごい。おそらく、自分たちプロ野球選手は、戦いを生業とする武士である。それを見物しているだけの一般人とはまったく違う存在だ。おそらく、『水戸黄門』の「えーい、静まれ!」にも似た感覚だろう。
私はなんとなく理解できる。当時のプロ野球選手は、自分たちは特別な存在なのだというプライドをいつでも持っていたし、今でも持っている。それは、相手チームのファンはもちろんのこと、自分のチームのファンも敵だと思って戦っていたこととも関係があるのだろう。同情の拍手をもらっているような緩い環境の下では、そんなプライドも生まれない。
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