「ヒットしなくては許さんぞ」と言われた伊集院静は…
このときのキャンペーンはもともとフランスの名優ジャン=ポール・ベルモンドを女性用の化粧品の広告に起用するという企画だったが、パリでの最終契約段階でトラブルが発生し、頓挫してしまう。そこへ契約していた制作会社の社長が急遽日本からパリへ飛んできて事態を収めると、伊集院に「制約にとらわれず好きなものをつくれ。ただしヒットしなくては許さんぞ」と言い残して帰っていった。
ここから彼はスタッフらとともに企画を一晩で一から練り直すと、翌日には現地のモデルエージェンシーでモデルのオーディションを始める。しかし、これというモデルが見つからず、その次の日にも100人近いモデルを集めてくれるようスタッフに頼んだ。このとき外国人モデルばかりが集まったなかに、日本から来た18歳の女性がホテルの一室に一人ポツンと座っていた。それが小達雅子だった。
彼女はキャンペーンのパンフレットや小冊子用のモデルとして呼ばれていた。しかし、伊集院には何か感じるものがあったらしい。それまで化粧品のキャンペーンガールといえば外国人モデルが多かったのに対し、彼は思いきって日本人女性をモデルでやってみてはどうかと提案、彼女を推薦したのだ。これにクライアントと制作の責任者も承諾してくれ、撮影もまずアフリカ・チュニジアのサハラ砂漠で行うことになる。彼女はラクダに乗ってのCM撮影を難なくこなし、砂漠を走るシーンも炎天下で何度もトライする奮闘ぶりだった。
小麦色の肌、バストを腕だけで隠した姿で
ロケはそれからスペイン領のカナリア諸島、パリと移動しながら強行軍で進められ、無事に終了する。このときの彼女について《一ヵ月が過ぎると顔が変わってましたね。人の注目を浴びることでの変化というか、おそらく本来内に潜んでいたものが表出しはじめたんでしょうね》と、伊集院はのちに振り返っている(伊集院静「愛する人との別れ~妻・夏目雅子と暮らした日々」、『大人の流儀』講談社、2011年所収)。
「Oh!クッキーフェイス」というキャッチフレーズを掲げたキャンペーンで、小麦色の肌(実際にはファンデーションを塗って小麦色にした)の彼女がバストを腕で隠しただけのポスターはたちまち話題を呼び、雑誌のグラビアにも引っ張りだことなる。

