家族もその音を聞いていて、「近くの山から聞こえるのかな」とか色々話したんですけど、大人になっても正体がつかめないままなんです。今回の小説を書く時にその音を思い出して、私の中の京都のイメージと、その謎の音っていうのがすごく密接につながっているなと。京都の持ってる底知れなさとか、住んでる人も謎に思ってるけど理由は分からないし、分からないままずっと謎に思っておきたい、というような気持ち。そういう京都の底知れないミステリアスさを象徴する場面として書きました。
 
――実際のところ、「山の音」が何の音なのか答えは出ていないんですね。

綿矢 山にこもって修行してる人がほら貝を吹いてる音なんじゃないかとか、給湯器の音じゃないかとか、ネットで調べると色々出てくるんですけど、それにしては街中に響いてるし……。本当に謎なので、もしご存知の方がいたら教えてほしいです(笑)。

文藝春秋PLUS公式チャンネルに出演。最新作について語る綿矢りささん
 

自身の記憶から「大人になってから再体験したくて」描いた人権教育

――京都のミステリアスさ、生々しさという点では、作中の「人権教育」も重要な要素です。二人の恋愛にもこれが影を落としていきますが、綿矢さんご自身の経験がもとになっているのでしょうか。

ADVERTISEMENT

綿矢 はい。私が小中学生の時、京都の授業では人権学習や平和学習が非常に盛んに行われていました。私はそれが全国的なものだと思っていたのですが、大人になってから、京都ではより手厚く行われていたと知りました。その時の授業はどういうもので、それを受けていた自分はどんな風に感じていたんだろう、というのを改めて考え直したくて。大人になってから再体験するような気持ちで、ほぼ、自分の記憶のままに書いています。

――当時は、その教育に違和感を覚えるようなことはありましたか?

綿矢 当時は他の授業と変わらず、道徳のような感じで純粋に受け入れていました。でも大人になってから思うと、教育によって差別があることを知り、歴史を知るということが、果たして良かったのかどうか……。もちろん、熱心に取り組んでくださった先生方や地域の方たちの真面目な思いもすごく伝わってきたので、悪かったとは思いません。ただ、そういう授業があったということを、生徒だった自分が大人になってからもう一度考え直すのも大事かなと思って、主人公たちにもういっぺん授業を受けてもらうことにしました。