プロレスには幻想の歴史が存在する。存在するのは紙の上ではなく、観客たちの記憶の中だ。リング内の真実を知るのは選手のみである。情報が閉ざされているために、リング外の者たちは「あるべき」歴史を脳内で構築していった。これまで共有されてきたプロレスの正史とは、そうした想像力に支えられたものであり、わずかな情報漏洩以外に補完の機会はなかった。斎藤文彦『昭和プロレス正史 上巻』は、そうした事態を一変させる本である。

 本書の中で斎藤が行ったのは、選手の証言を集める作業ではなかった。彼が重視したのは、新聞や雑誌などに掲載された記事である。田鶴浜(たづはま)弘、鈴木庄一、櫻井康雄といった昭和のプロレスの取材者による文章を、斎藤はナラティブと呼ぶ。ナラティブとはすなわち語りであり、物語のことだ。

 田鶴浜弘は一九〇五年生まれ、プロレス記者の先駆者と呼ぶべき存在だ。鈴木庄一はやや遅れて一九二三年生まれ、櫻井康雄は一九三六年と年齢の違いがある。しかし、力道山のデビュー戦、進駐軍相手に行われた両国メモリアルホールの試合を実際に見聞したのは田鶴浜と鈴木のみだというのに、当時十五歳で会場にいたはずのない櫻井のナラティブにもこの試合のことは、あたかも見てきたような形で叙述される。その櫻井のナラティブと田鶴浜のそれは、これまで同価値のものとして流布し、知識として共有されてきた。その彼らの物語が、いわゆるプロレス正史の源流だったのである。

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 通常の場合、歴史は記述が残ることによって正当性を獲得する。勝者は敗者の歴史を存在ごと消し去ることさえある。だから歴史家は欠落した一次資料を集めようとするのだ。もし「リングの中」の一次資料を補完しようとするならば、現時点では昭和の時代から活躍した選手の証言を集める以外に手段は考えられない。

 だが、斎藤が示したのは、まったく違う手法だった。プロレス正史の土台となっていたナラティブを並べて検討し、相互矛盾や時代の変遷に伴う記述の変質などを発見する。そのことによって浮かび上がってくる輪郭こそが、昭和プロレスの近似値なのだ。この発想転換に本書の価値がある。

 上巻では、力道山没後に馬場・猪木が台頭した一九六〇年代までの期間が扱われる。力道山の木村政彦戦のような不可解な事件も俎上(そじょう)に載せられるが、斎藤の目的は謎解きではなく、それがいかに伝えられ、どのような影響を及ぼしたかを描くことにある。物語が幻想に変わる過程を読者は目撃することになるだろう。

さいとうふみひこ/1962年東京都生まれ。プロレスライター。大学講師。筑波大学大学院博士後期課程満期退学。『週刊プロレス』創刊時より記者として活躍。著書に『プロレス入門』『みんなのプロレス』など多数。本書下巻は近日発売予定。

すぎえまつこい/1968年東京都生まれ。書評家。著書に『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』など。

昭和プロレス正史 上巻

斎藤文彦(著)

イースト・プレス
2016年9月17日 発売

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