新宿の地下アーケード街でまた「お嬢さん、何か買ってやるよ」
兄ちゃんは、押しつけがましくなく、何か見返りが欲しいわけでもなく、あの良い声で、スッと買ってくれた。その時、一緒にいたうちの一人、小沢昭一さんが、
「いいねえ、いまどき、こんなふうに『何か買ってやるよ』と言ってもらえるなんてさあ。いくつになっても、言ってもらいたいよねえ」
と言って、みんなで大笑いした。
ずっと後年、今度は新宿の地下のアーケード街を、雑誌「話の特集」の句会の仲間と一緒に歩いていた。平日のちょっと遅い午後だった。句会が思ったより早く終わって、時間がぽっかり空いたのだと思う。やはり渥美さんと、小沢昭一さんがいて、永六輔さんや矢崎泰久さん、イラストレーターの山藤章二さん、写真家の浅井愼平さん(浅井さんの勧めで、渥美さんは俳句を始めた)たちもいた。
するとまた、私の隣りを歩いていた兄ちゃんが、
「お嬢さん、何か買ってやるよ」
と言った。以前のことがあるので、私は振り向いて、小沢さんに、
「ねえねえ、また何か買ってくれるって!」
と伝え、兄ちゃんに、
「ほんとうにいいの?」
と確かめたら、あの良い声で、
「ああ、何でも買ってやるよ」
と、うなずいてくれた。
「兄ちゃん、私、これがいいと思う」
ちょうど靴屋さんが何軒か並んでいるところだったから、
「じゃあ、靴を買ってくれる?」
「いいよ、靴がいいのかい」
と、二人で靴屋さんに入った。私は、(どうせ買ってもらうなら、ふだん自分で買わないようなのにしよう!)と思って、お店じゅうをたんねんに物色した。兄ちゃんはにこにこしながら、付き合ってくれた。やがて私は、たくさんの靴の中に、すごく珍しいデザインの靴を発見した。黒いスウェードの靴だけど、ヒールはぐんと高くて金色で、靴底も金色、爪先にも金色の大きなリボンがついている。芝居で踊り子か何かの役を演じる時に履くと、ものすごい効果が上がりそうな靴だった。
「兄ちゃん、私、これがいいと思う」
そう言ったら、「サイズは合うかい?」と言って、店員さんを呼んでくれた。
店員さんが奥から私のサイズのものを持ってきて、私は椅子にすわり、店員さんの揃えてくれた靴へ足を入れた。私は、隣りにすわった兄ちゃんに、
「これがぴったり」
「ああ、買ってやるよ」
私が「うれしい、本当に買ってもらっていいの?」と答えながら値札を見たら、一万五千円だった。当時にしては高い靴だ。

