「それくらい、ぼくはテレビ局ってものに無知だったんですよ」

 スタジオに入る時、靴を脱ごうとしたのも、詳細を聞くとこんな感じだった。

「浅草でちょっと人気が出た役者は、だいたい、先の尖った、茶と白のコンビの靴を履いて、粋がってんだ。それでつい、そのまま、すうっと舞台に上がっちゃう人もいたね。でも、そういうやつは大道具係から、カナヅチで向こうずねを、かっぱらわれるんだよ。『おれたちは舞台におまんまを食わせてもらっているのに、そこに土足で上がるとは何事だ!』というわけだね。テレビ局でも、それと同じに考えて、床がピカピカしている神聖なスタジオに、まさか土足で入っちゃいけないだろうと思って、靴を脱いじゃった。それくらい、ぼくはテレビ局ってものに無知だったんですよ」

渥美清 ©文藝春秋

 そして、

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「だいたい、お嬢さんは、慶應ボーイみたいな坊やのADには『お腹、すいてない?』とかなんとか、やさしい口調で言うんだよ。こっちには無愛想な声で、『そこ、どいて!』とか言うくせにさ」

 などと言った。それに対抗したわけじゃないけど、私は、「あなたも仕事場で、すぐ『このアマ! この野郎!』なんて言ってないで、たまには、きれいな物語を読んでごらんなさい」と、『星の王子さま』をあげた。

 兄ちゃんは、私のあげたサン=テグジュペリを読んだだけでなく、それをきっかけに本を読む習慣ができたらしく、後に「もし、ぼくに知性のカケラがちょっとでもあるとしたら、それはお嬢さんからの輸入ですよ」と言っていた。

週刊誌に「あの二人の仲はあやしい!」と書かれたことも

 実際、「お嬢さん、いま何を読んでいますか?」という電話はよくかかってきたし、「寅さん」の山田洋次監督によれば、兄ちゃんには行きつけの本屋さんができて、そこのベテランの店員さんにいろんなジャンルの本を推薦してもらっていたし、家ではいつも本を読んでいた、という。さらに、兄ちゃんのお嬢さん(こちらは本物)から、『星の王子さま』の感想が書かれた、とても素敵な、うつくしい手紙を頂いたこともある。兄ちゃんは、私が「『この野郎!』なんて言ってないで」と渡した本が気に入って、それから何年もたって、お子さんに読ませたのだ。

黒柳徹子 ©文藝春秋

 話をテレビが始まった時代に戻すと、私たちの共演は「お父さんの季節」以降も、あれこれ続いて、それも恋人や夫婦役が多かったから、週刊誌に「あの二人の仲はあやしい!」と書かれたこともある。おかしかったのは、その記事に添えられた写真で、私のはNHKの公式写真だから、ごく普通なのだが、兄ちゃんのは、それしかなかったのか、なぜかチンドン屋さんの扮装をしている写真だったことだ。それも、何度か記事が出た、そのたびに必ず同じ写真が載っていた。

 二人の仲は、もちろん根も葉もない噂話にすぎないのだけど、兄ちゃんはニコニコしながら、

「お嬢さん、考えてごらんなさい。ぼくの姿かたちと、お嬢さんの声と喋り方を受け継いだ子どもができたら、そりゃもう、タレントにするしかないじゃないですか」

 と機嫌が良さそうだった。

次の記事に続く 「私は、もうダメです。お嬢さんはいつも元気でいてください」渥美清が死の直前に残した言葉と笑顔…黒柳徹子が語る“最後の日々”の記憶

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