「なんだと、このアマ!」「アマとおっしゃると?」
初対面の席上、私がふと兄ちゃんの顔を見ると、やがて日本中の観客を笑わせ泣かせることになる、あのあかぎれのように細くても表現力は豊かな目が、少し攻撃的なような、少し防御的なような感じで、私をするどく見返してきた。そして、私が何か言ったことが気にさわったらしく、急に、
「なんだと、このアマ!」
と怒鳴った。どうやら私に向かって怒鳴ったようなのだが、これは嫌味でも何でもなく、本当に私は「アマ」という言葉を知らなかったので、
「アマとおっしゃると?」
と聞き返したら、兄ちゃんはちょっと絶句してから、
「ああー、ヤだヤだ! この手の女は本当にイヤだねえ!」
と大きな声で言った。だから、「このアマ」というのは、どうやら私に対する悪態だなと察したのだけれど、こんな調子では口ゲンカにさえならない。私には「この手の女」という言い方も新鮮だったから、内心、(ふーん、『この手の女』というタイトルで小説を書こうかしら)なんて思っていた。
何しろ、当時の私は渋谷より東へはほとんど行ったことがなく、せいぜい夏の盛りにアイスクリームを食べに父が銀座まで連れて行ってくれることがあるくらいで、「浅草なんかに行くと、さらわれる!」なんて、ひどい偏見のかたまりだった。
何より私は兄ちゃんの演技の見事さ、声や姿勢の良さに驚いた
兄ちゃんも兄ちゃんで、私みたいな、いちおう山手育ちで、父親がヴァイオリニストで、キリスト教の女学校に通って、音楽の大学を出て……という「アマ」と接したことはあまりなさそうで、どう接したらいいのか、戸惑っているようだった。後で聞いたら、私のことを「とんがった顔して、細い黒いズボンはいて、ちゃっちゃと歩いちゃ、あちこちで喋り回ってよ、カラス天狗かよ」なんて言っていたらしい。
ところが、初対面がそんな具合に、さんざんだったにもかかわらず、私たちはだんだん仲良くなっていった。毎週、生放送のドラマを切り抜ける戦友だし、何より私は兄ちゃんの演技の見事さ、声や姿勢の良さに驚いたからだ。「プロがお金をもらうには、これだけの芸を見せなきゃいけないんだぞ」という凄みを感じていた。
NHKは、収録の終わった後の帰りの車を用意してくれるのだが、一人一台なんてことはなくて、帰る方角が同じ人が何人も一緒に乗り合って帰る。NHKから近い人から順に降りていって、最後に二人きりになるのが、兄ちゃんと私だった。帰りの車中で、あれこれ喋っているうちに、うちとけるようになった。

