漱石が『吾輩は猫である』で〈いずれ結婚は不可能になる〉と予言してから約百年。生涯未婚率の上昇はその成就を示しているかに見える。個人がそれぞれ自分の幸せを求めるようになれば、他人と一緒になど暮らせなくなる、と漱石は言っていた。さてそのとおり、こんなご時世に「幸せな結婚」などありうるのか。
本業以外でも着々と業績を伸ばすスタイリストの美紅(みく)と、自分のやりたいことをやるために大手の出版社を辞め、今は育児に専念している夫の浩介。仕事が波に乗りかけているラジオのDJ英多と、子育てのためにライターの仕事を中断している妻の恵。好対照を成す2組の夫婦が、さらにはそこに現れた読者モデルにしてセレブ妻のれいが絡んで愛憎劇を繰り広げる。
仕事に未練を持ちつつ専業主婦に甘んじている恵は、家事を手伝うどころか仕事を増やす大きな子どものような夫・英多に半ば愛想をつかし、公園で出会ったイケメンにしてイクメンの浩介に憧れる。一方、会社という大樹の陰を失った浩介に向ける美紅のまなざしは冷たく、家事・育児はすべて夫に任せ、自身は仕事と、若い男との不倫に励む。もちろん浩介も、自分のキャリアに対する不安に加え、そんな妻には不満の溜まる一方で、美人人妻れいの甘い誘惑に乗ってしまう。
かくもこんがらがってしまうのは、現在の結婚が込み入っているからだ。かつてであれば、結婚生活の中で求められる役割はその都度一つだけだった。たとえば働くのは「夫」「父」の務めで、「妻」「母」は言うまでもなく専業で家事と育児にあたっていた。それぞれの仕事は楽ではなかったろうが、少なくとも今ほど複雑でもなかった。今は「父」になっても、男でありつづけ、外で働きつづけ、家事も育児もしなければならない。黙々と自分の仕事をしていればよかった時代とは異なり、仕事の分担をどうするかにもコミュニケーションが必要だ。ちょっとしたすれ違いが大きな悲劇を生む。
ここに登場する二組の夫婦の計四人も、それぞれが順繰りに語り手になって四人四様の不満を吐露する。しかしそれでも結婚には可能性がある。一つの典型的な幸せが思い描けない時代にあって、この四人のバラバラな思惑は決して一致することなく、にもかかわらず、すれ違いこそが生む「幸せ」があるというのだ。
誰一人あまり好きになれないような四人の自己中心的な人物を描き分けながらも、彼らの結婚をある意味「幸せ」と思わせてしまう作者に従えば、今後もしばらく「幸せな結婚」はありうるのかもしれない。
こじまけいこ/1972年、オーストラリア生まれ。95年、アナウンサーとしてTBSに入社。99年、ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞。2010年の退社後は、タレント、エッセイスト、作家として活動している。小説作品に『ホライズン』など。
いとううじたか/1968年、千葉県生まれ。文芸評論家。明治大学准教授。主な著書に『奇跡を起こすスローリーディング』など。