14人の命を奪い、被害者が6000人を超えたオウム真理教による地下鉄サリン事件から30年。サリンの製造方法を確立した土谷正実(2018年に死刑執行)は、逮捕後に黙秘を続けた。

 

 教団によるサリン製造を立証するため突破口を開いたのが、当時、科捜研の研究員だった服藤恵三氏だった。後に、日本で最初の「科学捜査官」となった服藤氏が捜査秘話を明かした。

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「嘘をついてました」

 (オウム真理教の)科学技術省の次官だったWという幹部がいました。東工大の出身で、第7サティアンに作られたサリンプラントの第4工程の責任者です。

 メチルホスホン酸ジクロライドから、サリンの直接的な原料となるメチルホスホン酸ジフルオライドを生成するのが、第4工程です。Wは、反応タンクを作ったことを認め、原料の投入方法なども全て図に描いていました。その図は、反応タンク下部に配管があって、生成物がその下のタンクへ落ちるようになっています。これが偽証でした。

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サリンが製造されていた第7サティアン ©文藝春秋

 ジフルオライドを加熱装置で気化させ、タンクの冷却装置で液体に戻して回収し、最終第5工程へ運ぶ構造になっていることを、私は現地で確認していた。Wの図にある底部のタンクは、本当は副生成物のNaCl、つまり塩を溜める場所でした。

 私はWに会い、図と反応式を示して尋ねました。

「ここに溜まるのは塩じゃないの?」

「いや、違いますよ」

 そう答えながら、どぎまぎし始めた様子が見て取れました。底部のタンクはプラスチック製で、上の配管との間に隙間もあります。ジフルオライドはすでに有毒で、空気中の水分にも反応するのです。

「このポリタンクに入れたら分解してしまうし、危ないでしょう」と指摘すると、Wは黙ってしまいました。

「気化させて蒸留して、タンク上部で液体で回収するんじゃないの? サンプリングして調べたら、そこからジフルオライドの分解物が出てきたよ」

 科学的事実を一つひとつ指摘すると、もう何も喋らなくなりました。しかし翌日、

「すみません。嘘をついてました」

 と事実を自供し始めたそうです。彼がどこまで意図的だったのかわかりませんが、供述した方法ではサリンが作れないと法廷で明らかになったら、実現不能なものとなり、無罪になる可能性もでてきます。

〈土谷正実は、松本サリン事件、地下鉄サリン事件、VXを使用した事件などの殺人罪で共同正犯と認定され、死刑が確定。2018年7月6日、教祖・麻原彰晃、遠藤と共に、東京拘置所で刑が執行された。〉

麻原が夢見た肉体とは

 麻原は、何を目指していたのか。私が目を通した多くの信者のノートやメモの中に、細菌や化学剤の人体実験と思われるデータがありました。麻原は遠藤に、化学剤や生物剤にさらされても平気な身体を作るように命じていたとも言われています。どの医薬品がどの兵器に対して解毒剤になるか、信者を使って実験していたのかも知れません。

服藤恵三氏

「ハルマゲドン」を自作自演し、サリンや生物兵器でたくさんの人々が倒れている中、自分一人が平然と立って手を振っている。そんな神のごとき肉体を、麻原は夢見ていたのではないでしょうか。

 土谷は、事件の実行犯になったことも謀議に参加したこともなく、自分の研究にしか関心のない科学者でした。しかし社会に役立てるべき科学を悪用し、犯した罪は重いと思います。

 もう一度土谷に会えたら、

「君は科学者なのに、なぜ闇に引き込まれたのか。そして、こういう人生を歩んで、いまどう思うのか?」

 と尋ねてみたい。

(構成・石井謙一郎)

※本記事の全文(約6600字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(服藤恵三「オウム死刑囚との『化学式』問答」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。

捜査一課長からの「依頼」
・「オウムは最高だった」
・化学式のキャッチボール

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