「光は一人息子なんだぞ」
私は、多くの女性が経験する「普通の妊娠」はできないだろうという予感めいたものがありました。
私が幼い頃、「先天性股関節脱臼」のために、長い間、入院生活を送っていたことにはすでに触れました。そのせいか初潮を経験したのも20歳を超えてからで、それも医学的に生理を誘発しなければ起きなかったのです。おそらく私は妊娠しやすい身体ではないのだろうと直感的に思っていたのです。
夫である太田と出産や子育ての話をしても、私に話を合わせてくれているのか、決まって「俺も(子供がいてもいなくても)どっちでもいいよ」という返事でした。そうは言っても、太田は子供向け番組『ポンキッキーズ』に出演し、人気コーナーとなった「爆チュー問題」では子供たちと一緒になって心底楽しそうにしていました。本当は子供が好きなんだろうし、生まれたら太田は面倒を見てくれそうだなと内心思っていました。義父が孫の顔を見たい気持ちも分かるので、まあまずは普通に子作りをしてみようかと考えるようになりました。現代は医療も進んでいることだし、不妊治療に挑むことにしました。
ところが、です。嫌な予感は見事なまでに当たっていたのです。その頃は夫婦ともに多忙だったので、私が夜まで仕事が続いて遅くなることもあれば、太田は太田で収録が長引いて疲労困憊のまま眠りこけてしまうこともたびたび。そんななか、不妊治療の努力を続けてみたものの妊娠にいたることはありませんでした。
ありがたかったのは、談志師匠の隠し子騒動のときも気にしない素振りで私を支えてくれた義母がいつも寄り添ってくれたことです。
「やっぱり、今回もダメだったみたいです」
「そう。本当に無理しないでいいから」
「ありがとうございます」
「気にしないでいいわよ」
なかなか子宝に恵まれないことを打ち明けたときも、そう優しく声をかけてくれました。太田の実家でお義父さんからいつもの「孫の顔はいつ」問答が始まると、お義母さんは毅然とした態度で私の気持ちを代弁してくれることもありました。
「光代さんは代わりのいない社長なの。いつも忙しいのがわからないの!」
「ウチの光は一人息子なんだぞ」
「無理なことばかり言ってどうするの。光代さんのおかげで光に仕事があるんでしょ」
義母にガツンと指摘されると、義父はまるで私に怒られた太田のように何も言えなくなってしまいます。
30代半ばになろうとする頃には、少しずつ考えに変化が出てきました。
