その後にいよいよやってくるのが「採卵」です。採卵針を直接、膣内に挿入するのが一般的な方法でした。当時は麻酔もなく、私には耐えられないほどの激痛を伴う治療でした。他の患者さんのエピソードとして、「痛みで暴れ回ってしまって看護師に押さえつけられながらなんとか排卵した」とか、「この痛みに耐えられなくて治療を断念した」といった話を聞きましたが、まったくその通り。とにかく痛い!

 採卵した後も下半身にズキズキした痛みや立っていられないほどの重い腰痛が残るのですが、それでも予定されていた仕事の時間はお構いなしにやってきます。

 1カ月のうち、グッタリしている期間が1週間以上あり、昼夜を問わず病院へと向かい、強烈な痛みに耐える日を乗り越えると、ようやく「受精に向けた治療」が始まるわけです。

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 それで子供ができればすべて報われるのでしょうが、私の場合は受精すらできないまま時間だけが過ぎていきました。妊娠していないと告げられると、「ああ、またあのホルモン剤を飲まないといけないのか……」と重い気分になります。不妊治療を続ける女性に対して、これで仕事と両立しろ、というのはやっぱり酷な話なのです。

 その頃、唯一の救いだったのは太田の態度です。彼は私に労いの言葉をかけることもなかったけど、「今回はどうだったの?」と結果も聞かなかった。

太田光さん ©平松市聖/文藝春秋

 過度に気にされるのもまたプレッシャーです。細かく聞かれるよりは、何も言わないでいつもと同じように過ごしてくれる距離感が、私には心地よかったのです。そんなこんなで私は不妊治療を足かけ6~7年ほど続けました。しかし、当時の私は社長の激務もあり、かなり痩せてしまいました。お医者さんからは何度も「いつ倒れてもおかしくないですよ」と心配をされるようになり、もう「仕事」と「妊活」の両立は無理だと諦めるようになりました。

「不妊治療をやめます」

 2000年代に入り、タイミングがいいのか悪いのか、タイタンから所属タレントが2人同時にブレイクすることになります。「間違いないっ!」が流行語となった長井秀和くんと、『行列のできる法律相談所』で異彩を放っていた弁護士の橋下徹さんです。長井くんはタイタンに来る前からの下積み時代も長い芸人だったのですが2003年4月から日本テレビ系列で始まった『エンタの神様』ブームの波に乗って大ブレイクしました。橋下さんもちょうど同じ時期に『行列のできる法律相談所』の新レギュラーになるや、すぐに『笑っていいとも!』のレギュラーにも抜擢されたのです。その後、2人には出演オファーが大量に舞い込むようになりました。