マイナーだった不妊治療
「私たちにはいつまで経っても子供ができないんじゃないか」
当時、不妊治療は世間でもまだマイナーな選択肢でした。2022年4月にようやく不妊治療の保険適用が始まりましたが、私が治療を始めた1990年代後半はまだ全額自己負担でした。現在では一般不妊治療と呼ばれている「人工授精」だけでなく、生殖補助医療と称される「体外受精」「顕微授精」も保険の適用対象となっていますが、当時は治療費もかなりの高額でした。
私が探して通うことにした不妊治療専門の病院には、治療費は自己負担であるのに連日朝から大勢の患者さんが訪れていました。働く女性にとって辛かったのは、病院が予約制ではなく先着順の診察だったこと。平日の午後から働く時間を確保するためには、午前中には診察を終えなければならない。そのために朝早くから並ばないといけないのです。
不妊治療には卵子の発育を促して、治療に使える卵子を一定数確保するために排卵誘発剤を使って卵巣に刺激を与える「排卵誘発法」という治療法があります。女性の体は通常のサイクルだと卵子は月に一個しかできませんが、卵巣を刺激することで、妊娠しやすい体質に変化させながら、一回のサイクルで複数の質のいい卵子を採るという方法です。体外受精をするにはまずは卵子を確保しなければいけないというわけです。
私が経験した治療サイクルは次のようなものでした。
まず、排卵誘発のために卵子が成長するタイミングに合わせて、ホルモン剤を月に1回、1週間ほど服用します。このホルモン剤が最初の“難敵”でした。私が飲んだ薬はまったく体に合わず、毎回つわりのような副作用に苦しめられたのです。
採卵針を膣内に…
ホルモン剤を服用しているときは電車で一駅移動するのもひと苦労でした。特急なんかに乗ったら途中下車もできないから顔面蒼白になって、しゃがみ込んでしまうこともありました。そのときは、それまで何も気にしなかった食べ物や洗剤など匂いのするものが気になり、気分が悪くなるのです。
いざ排卵日が近くなってくるとホルモン剤に加えて、排卵を誘発するための注射をしなくてはなりません。この注射から少し時間を置くと排卵が始まることになるのですが、卵子採取の時間から逆算して、夜間に病院に行かなくてはならないことが何度もありました。
