「実質的に下水道です」

 八幡宮にお参りし、参道を下る。三つある鳥居の最も外側に接する交差点から、ちょっと変わった道路が始まっていた。真ん中に一段高くなった歩道。両側に細い一方通行の車道。普通の道路とは逆だ。橋はないのに「宮前橋」とある。

「宮前橋」。この下から立会川が始まる。中央が暗渠上の歩道、両脇が一方通行の車道

 こここそ、現在の立会川の起点だった。歩道は暗渠の上に造られ、「立会川緑道」と名づけられている。

 地下はどうなっているのだろう。立会川の暗渠部は下水道の扱いになっているので、東京都下水道局が管理している。ただし、河川法で定められている立派な二級河川だ。河川なのに下水? なんだか頭が混乱してきた。

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水害の後、土砂やゴミで埋まってしまった雨水升(碑文谷八幡宮前)

「暗渠部は実質的に下水道です」と下水道局の担当者が説明する。「東京の下水道は網の目のように張り巡らされています。排水は下水管に入ると枝線から太い幹線に集まり、最終的に水処理センターで処理されて東京湾に放流されます。立会川の暗渠部は『立会川幹線』という下水道幹線で、起点となっている場所にはいくつもの枝線が集まっています」。

 下水道台帳を見ると、確かに下水道「立会川幹線」は宮前橋の地下から始まっていて、そこには2系統に集約された枝線が流れ込んでいた。下流に向かうに従い、周辺の枝線が集まってくる。

 要するに、地下河川の源流は下水道の排水で、日々流れているのは汚水なのだ。

かつての碑文谷村の鎮守、碑文谷八幡宮

 地下構造が分かったところで、陸上の立会川緑道を歩いてみよう。

かつての水辺には何がある?

 道路の真ん中にある緑道には、車やバイクが入って来ないよう、交差点ごとにポールが立てられている。頭頂部には水鳥、カタツムリ、ホタル、カメといった「水辺の生物」(目黒区の担当者)のモニュメントが載せてあった。

立会川緑道のモニュメント

 両側にある一方通行の車道は極めて狭く、普通車がギリギリ通れる幅しかない。車道と歩道を分ける柱には「宮前橋」の橋名板が取り付けられているのだが、多くの車が擦ったのだろう、傷がたくさん付いていた。

一方通行の車道は車がギリギリで通れる幅しかない(宮前橋)

 目黒区側の立会川は1964(昭和39)年にコンクリートでふたをされた。上流部はボックス・カルバートと呼ばれる鉄筋コンクリート製の「箱」をつなげて埋めた箇所が多い。その上に緑道が整備されたのは1970~72(昭和45~47)年のことだ。この時に植えられたソメイヨシノが約60本残っており、樹齢は50年を超える。