地下に川があるのに意外と…
だが、コンクリート上に盛り土をしただけなので、土壌の深さは60~70cm程度しかない。2mほど根を張るソメイヨシノには厳しい環境だ。このため根が地表に盛り上がり、歩道に敷かれたブロックを持ち上げているところもある。根から吸い上げられる水分も少ない。
樹勢は決していいとは言えず、病気になりやすい。目黒区はソメイヨシノより小型のカワヅザクラやコシノヒガンに植え替えていく方針だ。
緑道を歩いて区境へ
緑道には近隣の小学校などが花を植えている箇所もある。
道路と交差する地点にあった橋の名前は今も残されていて、交差点ごとに「宮前橋」「寺前橋」「大門橋」「富士見橋」「門前橋」「新橋」「中丸橋」「雪見橋」「参宮橋」「羅刹橋」と橋名板が取り付けられていた。
途中に電話ボックスが二つあった。「災害対策で残してあるのかな」とウォーキングに訪れた人が感心していたが、残念ながらドアを開けると電話機が取り外されていた。
こうして碑文谷八幡宮の鳥居前から歩くと、約1kmで緑道は終わる。中央が歩道という変則的な道路もここまでだ。そこから先は真ん中が車道、両脇が歩道という普通の形態になる。
緑道の終点から約200m先に東急目黒線の西小山駅があり、品川区との区境になる。「目黒は緑道だけど、品川は車道が多い。暗渠の利用は区によって考え方が違うんだよね」と解説する住民がいた。呼び名も「目黒区は『立会川緑道』。品川区の車道は『立会道路』です」と目黒区の担当者が言い添えた。
地元住民がふり返る“あの日の衝撃”
さて、豪雨被害が大きかったのはこの辺りからだ。
西小山駅は線路が冠水して電車が長時間運休になった。
駅近くの品川区小山六丁目町会、田辺耕司会長(77)と内藤彰一郎副会長(77)はあの日が忘れられない。
「うちは半地下が腰まで浸かり、2部屋が床上浸水しただけでなく、買ってから1年しか経っていない車が水没してダメになりました」と田辺会長は肩を落とす。
田辺会長の家は4階建てだ。一帯には建築基準法で10mの高さ制限があり、「4階建てにするには、どうしても半地下にするしかなかったのです。この辺りにはそうした建物が結構あります」と語る。
あの日の午後3時37分、気象庁は品川区付近で1時間当たり約120mmの雨が降ったとして「記録的短時間大雨情報」を出した。隣接する目黒区ではもっと降った。「工大橋」(目黒区緑が丘)の雨量計で午後3時半~4時半の1時間に133.5mmの降雨を観測したのだ。田辺会長や内藤副会長が住む品川区の小山6丁目からすると、区こそ違っても同じ東急目黒線の沿線で、直線距離だと2kmしか離れていない。
2人は「激しく降り始めたなと思ったら、ほんの20分ほどで浸水してきました。前が見えないほどの降り方でした」と口をそろえる。








