いつから“おしゃれタウン”に?

 高島屋が賑わい、二子玉川園が嬌声を響かせ、そこにやってくる“新”玉川線。まさに古き玉川村から新しいニコタマへ移り変わろうとする、そういう時代だったのだろう。

 

 1985年に閉園した二子玉川園の跡地は、「二子玉川タイムスパーク」として暫定利用されている。ナムコワンダーエッグや釣り堀などがある、いわばプチ遊園地。駅前とタイムスパークの間には小さな駅前商店街がひしめいていたという。

 その後、2000年代に入って本格的な再開発がはじまって完成したのが二子玉川ライズである。

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 大山道が多摩川を渡る渡し場の小集落は、こうして砂利輸送の電車の開通と遊園地の開園を機に変化が生じ、時代の流れに乗るようにして現在の“ニコタマ”へと変わってきた。

 かつて、昭和の初めには三業地として料亭などが並んでいた一角。そこは多摩川堤と多摩川の土手に挟まれた小さなエリアで、いまはマンションなどが建っている。

 

 さらにそこから多摩川の河川敷へと降りると、「兵庫島」と名付けられた小さな中洲があった。

 兵庫島は中央に池をあしらった公園として整備されていて、カップルたちが並んで腰掛けて川の向こうを眺めている。川向こうは川崎市高津区。二子玉川という名は、駅のある玉川村と多摩川対岸の二子村の合成地名なのだという。

 

 ライズや高島屋の存在感に圧倒される駅前とは、また少し違った情緒ある兵庫島の空気感。これもまた、紡がれてきたこの町の歴史のひとつなのだろうか。

撮影=鼠入昌史

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