井口桂子さんと鈴木富美恵さんによる前衛舞踏デュオ「86B210」。今年で結成30周年を迎える彼女たちは、いずれも新宿・歌舞伎町でショーダンサーとして踊ったという意外な経験を持つ。
国際的なダンスフェスティバルにも数多く参加し、高い評価を得てきた彼女たちは一体どんな紆余曲折を経てきたのか。下積み時代に裏社会の関係者と踊った恐怖体験、恩人への深い感謝と同時に抱える後悔、そして鈴木が貫くスキンヘッドの理由とは――。30周年記念公演を控える2人に、結成初期の秘話を聞いた。
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「あの人たち、懐に銃を持ってます」
――30年前、お2人はどうやって出会われたんですか。
井口桂子さん(以下、井口) ダンサーの派遣事務所があって、そこで出会ったんです。いきなり「今日、原宿の歩行者天国で木になってきた」と言われて。私はショーの世界しか知らなかったので、「この人は一体何だ⁉」と興味を持ったのが始まりでした。
鈴木富美恵さん(以下、鈴木) それで、私が踊っていた新宿・歌舞伎町のお店を紹介したんです。ショーダンスを好き勝手に踊るだけで、そのお店の女性社長さんには「華やかでいいわ」と喜んでもらえて。私1人で踊った時に、チップを10万円もらったこともありました。
そこで羽振りのいいお客様に気に入られて、「1000万円出すから、イベントでもやったら」と言われたんです。クルーザーを貸し切ってイベントをすることになったんですが、ある時に彼らが裏社会の方々だとわかって……。
――いったい何があったんですか?
井口 私はそこはあんまり記憶がないんですよね。凄く気に入られたのは富美恵ちゃんだから。
鈴木 やめて(笑)。私は凄く怖かったんですよ。今この話をしていいものかどうか――そのお店で彼らとチークダンスをした時、一緒に踊っていた女の子たちに「あの人たち、懐に銃を持ってます」と言われたんです。
私がチークダンスをした相手はドンだったので、彼は持っていませんでした。だから、私はわからなかったんですけど、彼らは殺し屋だと名乗ったんですよ。
ある時、彼らがあまりに店で騒いで、他のお客に「お前らだけの店じゃないんだ」って咎められたんです。その瞬間、全員が懐から銃を抜きました。それであまりに怖くなって、そのイベントは白紙に戻してもらったんです。
井口 あの話、そういう経緯でなくなったのね。
初めての公演での過ち
鈴木 大きな仕事がなくなってがっかりしちゃって。そしたら、女性社長さんが「本当は何をやりたいの?」と聞いてくれたので、「創作舞踊をやりたいです」と。
――そこから「86B210」としての活動が始まるんですね。
井口 その時はメンバーが5人いたんですよ。
鈴木 その女性社長さんは顔の広い方だったので、第1回公演(1995年)にも関わらず、開催場所は草月ホール。プロデューサーがついて、政治家の方が後援会を立ち上げてくださって、700人のキャパを埋めてくれました。
同年、別の会場で第2回公演を開催したんですが、その時に問題が起きたんです。というのも、私は「86B210」の代表でもあるのに、ダンサーのケアにかまけて、骨身を惜しまず協力してくれたスタッフの方々へのケアと感謝をないがしろにしてしまったんです。
井口 富美恵ちゃんはいつも自分1人で抱え込むんですよね。「こっちにも振ってよ」って思いますけども、私たちも初めての公演でいっぱいいっぱいで。



