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廃線跡がある北側へ
国道16号の西側のトンネルを抜け、郵便局の手前の脇道を入り、まっすぐ進んで踏切を渡る。
すると、ただ線路を跨いだだけなのに、またもや空気が一変するのだ。というよりは、田浦駅がまとっていた空気に引き戻された、というほうが正しいかもしれない。クルマ通りが絶えない国道から、人の気配の少ない特異な雰囲気のエリアに、といったところだろうか。
何しろ、踏切を渡った先の道の向こうには厳めしい造りの門が待ち受けていて、標識には「海上自衛隊第二術科学校」とあるのだ。さらにその奥に、「海軍通信教育発祥記念碑」も目に留まる。
この場所にはかつて海軍水雷学校や通信学校などがあった。海軍の指揮官を養成するための学校だ。
さらに海軍軍需部の倉庫群が隣接しており、まさしくまるごと海軍の町。もとより横須賀そのものが軍港都市として発展した歴史を持っているのだから、これはさして特別なことでもない。
そんな性質は戦後のいまも引き継がれ、海上自衛隊の町になった。術科学校の隣には自衛隊横須賀病院が建ち、倉庫群は相模運輸倉庫という民間の倉庫としてまだ現役だ。
そして、この倉庫群の間を縫うように、貨物列車専用の線路が張り巡らされていたのである。
駅前に案内図を発見
田浦駅の北口の正面には、相模運輸倉庫の案内図が設けられている。そこには、いまでは現役ではなくなった貨物線の線路も描かれている。いったいどこをどのように走っていたのかがつぶさにわかるのだ。
だから、せっかくなのでこの案内図を参考にしつつ、廃線跡を辿ってみよう。


