──では、研修医時代に見た「自傷患者さんのスッキリとした顔」というのは……?
村松 まさにそれです。リストカットするときに切るのは、皮膚だけはありません。心の中の辛い感情を切り離しているんです。「私にひどいことは何も起きていない」「大丈夫」と、自分自身をだます意味もある。それを知って「深夜に急患で来た患者さんたちはそういうことだったのか!」と、目からウロコが落ちました。
──心の防衛反応なんですね。
村松 自傷によって記憶の解離が見られるケースもあります。これはうちの患者さんの話ですが、ご両親が亡くなったことが大きなストレスになり「両親が死んでから1、2年の記憶がない、ただ、腕にたくさん傷ができていた」と。その方は、親の死というストレスに襲われるたびに腕を切り、それを何度も繰り返して「死のショックが和らいだ頃、ようやく記憶を取り戻した」と言っていました。
「僕は中学時代、ずっと死にたかった」
──自傷にはそんな側面もあるのですね。
村松 ええ。世間の人は「自殺」と「自傷」を同じものだと思っていますが、まったく違うものです。自殺が死ぬための行為だとすると、自傷は生きるための行為。本人は「死にたい」と思って自分を傷つけていても、それは現実を生き抜くためなんです。
こうして自傷のことを学ぶうちに、僕も自分の過去で思い出すことがありました。僕は中学時代、ずっと死にたかったんです。
──死にたかった。
村松 僕が小学生の頃、父は会社経営に失敗して、仕事もせずにフラフラしていました、その後、母の経営するスナックに金儲け目的の違法賭博ポーカーゲーム機を入れたんです。ある夜、テレビのニュースを見ていたら「経営者夫婦が逮捕」と、両親の名前が出て。
──それは驚きますね。
村松 両親は釈放後に離婚し、僕は父と弟の3人暮らしになりました。中学になると勉強についていけず成績は落ちまくり、学校ではパシリ。不良グループから金品を巻き上げられたり、酒やタバコを買いに行かされたり。それが本当に嫌で、毎日「死にたい」と思っていました。
裏山でビール瓶を投げたり、ゲームに没頭しましたが、ストレスは消えず鬱屈の日々でした。当時「リストカット」という手段を知っていたら、僕もやっていたと思うんです。
それを思い出したら、自傷する人を「かまってちゃん」と決めつけていた自分は無知だと気づきました。そして、患者さんと話すとき「僕も家庭と学校での人間関係に悩んでいた。あなたと同じようにリストカットしていたかもしれない」と思うようになったんです。自傷する人への偏見が、完全になくなった瞬間でした。
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