歌麿の絵は身近なアイドルのブロマイドのような役割を果たし、彼女たちを一目見たいという客が、それぞれの店に押し寄せた。この状況を受け、自分の娘も歌麿に描いてもらいたいと考える商人たちが、耕書堂に列をなす。

大繁盛で結構なことだが、注文をさばききれない歌麿は蔦重から、弟子に描かせて仕上げだけ自分でするようにいわれ、1点1点をしっかり描きたい歌麿は納得がいかない。しかも蔦重は、吉原からの借金を返済するために、歌麿に女郎の大首絵を描かせる約束を、歌麿への相談もなしにしてしまう。

納得できない歌麿はどうするのか。第42回の予告で流れた「もう蔦重とは終わりにします」という歌麿の言葉が気になるところである。史実においては、蔦重と歌麿の関係はどうなっていくのだろうか。

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蔦重だけが見抜いていた才能

今後の「べらぼう」は、蔦重に反発した歌麿が、蔦重とは手を切って西村屋などほかの地本問屋から錦絵を出したのち、蔦重側にふたたび説得され、また耕書堂からも出す、という展開になるようだ。実際のところはどうだったのか。

「べらぼう」では、歌麿は蔦重にずっと「恋愛感情」に近いものをいだき、それゆえ蔦重の妻のてい(橋本愛)に嫉妬する、という描き方がされてきたが、念のためにいうと、その部分は脚本家の創作である。

さて、歌麿が蔦重のもとで最初に取り組んだ美人大首絵は、女性の性格を描き分けるというジャンルのもので「観相物」と呼ばれた。その代表作が寛政4年(1792)の『婦人相学十躰』だった。

顔自体は、そのころ理想とされた美人を描いているために、みな同じにも見える。しかし、若い娘から既婚女性まで、手の動きや身体の傾き、目もとなどのわずかな表情の違いで、女性のイメージが描き分けられている。彼女たちが思い描いている心情までが伝わる。そういう才能は、ほかの画家には感じられず、蔦重は歌麿の無二の才能を、見事に見抜いていたことになる。

その際、美人で評判の市井の娘を主題にすることが検討され、前述した『当時三美人(寛政三美人)』はその代表である。また、蔦重には引き続き吉原との縁があった関係で、吉原が主題の錦絵も手がけていく。