初見の商品をこれほど販売できたヒントは、劇団のチケット売りにあった。
劇団員にとって、チケット売りは生死を分ける。紀伊國屋ホールのような大劇場では、席を埋めなければ赤字になる。ただ「見に来てください」と言っても誰も買わない。作品の背景を語り、感情に訴える必要があった。
「特攻隊の話の芝居では、ご年配の男性に、『“蛍になって帰ってくる”と、最後に特攻隊が旅館の女将に涙ながらに話すシーンがあって』と説明すると、琴線に触れたようで購入してくださいました。マネキンも同じで、人には必ず興味を示すポイントがあるんです。それを見つけ出せば、行動を起こしてくれると知りました」
大河ドラマに出演、自分の姿に幻滅
1985年、NHK大河ドラマ『春の波涛』への出演が決まった。主演の松坂慶子さんが演じる川上貞奴が日本初の女優学校で生徒に舞踊を教えるシーンで、生徒役の一人として抜擢された。
放送日、自宅で一人、テレビの前に座って出演シーンに見入る。カメラが左からゆっくりとなめるように進み、最初に映ったのは下座にいた浩子さんの横顔。その瞬間、全身が凍り付いた。
「もう、女優なんてできない。無理……」
画面に映る自分は想像とはまったく違う。同じ画面に映る松坂慶子さんとの対比が顕著で、見るに堪えなかった。舞台なら遠目で見える。写真なら一瞬を切り取るだけ。しかし、テレビは容赦なくすべてをさらけ出す。
「自分の限界を突きつけられるような、越えられない壁を思い知らされたような……」と目を覆う。自分でも認める、ひねくれた性格。しかしそれは、中途半端を許せない性分の裏返しでもあった。
テレビ放送のあった日、ふと、何日か前の母からの電話を思い出した。「おじいちゃん、がんなんさぁー(がんなんだ)」。あら竹の大黒柱で精神的支柱だった祖父は、すでに余命宣告を受けていた。
「世の中には何万人もの女優さんがいるけれど、新竹亮太郎の孫娘は私一人。潮時だ」