翌日、本居宣長記念館を訪れた。館長の高岡庸治氏は、本居宣長研究の第一人者。本居宣長の代表的な和歌を駅弁で表現するコンセプトを掲げて高岡氏に打診すると、意外な答えが返ってきた。

「毎日来なさい。まず勉強しないと作れないでしょう」

それから毎日、高岡氏は時間を割いて本居宣長について教えてくれた。著書も借りて読み込む。その後、試作を作っては持参し、グルメの高岡氏から意見をもらって作り直す日々。試作するのは、店が終わった後だ。夜に1人で調理場に立ち、納得いけば家族に試食してもらう。これは味も見た目も一切妥協したくない浩子さんのマイルールだ。

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「でも、そんな日々が続いたからプレッシャーで胃潰瘍になりました。体重は3キロ減っちゃって(笑)」

販売にあたり、高岡氏は専門家ならではの深い知識を分かりやすい文章でまとめ、掛け紙に記してくれた。この経験から、浩子さんは駅弁開発において重要な手法を確立した。

「あら竹の駅弁は、松阪の文化を知って味わってもらうもの。その道の専門家の愛を借りること」

しかし、本居宣長弁当の販売がスタートして半年後、突然日本中を震撼させたニュースが流れた。

BSE騒動で売り上げが10分の1に

狂牛病、後にBSE(牛海綿状脳症)と呼ばれる病気が国内で確認されたのだ。テレビでは、よろめきながら崩れ落ちるホルスタイン牛の映像が連日のように流れる。看板商品が「特撰元祖 牛肉弁当」のあら竹にとって、これは死活問題だった。

あら竹が駅弁に使っているのは黒毛和牛で、問題のホルスタインとは全く別物だが、影響は瞬時に現れた。JR南紀特急からの注文が止まり、毎年1月から2月に開催される百貨店の駅弁大会からも外される。「テレビの影響力の恐ろしさを知りました。本当に風評被害。悔しかった」と浩子さんは口を結ぶ。

車内販売と百貨店催事という2本の柱を同時に失い、売り上げは10分の1に激減。105年続く老舗駅弁屋が存続の危機に直面していたさなか、電話が鳴る。「私、牛肉弁当食べたいんやけど、売ってないやんか」。車内販売で買えないという客からだった。さらに別の客からも「なぜ今年の駅弁大会に出ていないの? 毎年楽しみだったのに」と、クレームのような声色で問い合わせが相次ぐ。浩子さんは事情を説明すると、電話の向こうで客はこう言った。