「鉄道唱歌を選んでいたら、もしかするとここまで売れなかったかもしれないです」

百貨店の駅弁大会で1日600個完売

モー太郎弁当発売後、地元の新聞に取り上げられたり、駅弁ファンの間で話題になったりして、少しずつ注文が来るようになった。そして、2002年1月に開催される東京・新宿の京王百貨店の駅弁大会に、初出品枠での参加が決まる。「催事に呼ばれたことで、一歩前進です」。百貨店からの初日の注文数は50個。BSE騒動前の牛肉弁当と同じ数で、妥当ではあった。

それが、開店5分後に完売。浩子さんはあら竹本店にいて催事の状況は見えなかったが、百貨店と客からのクレームに近い電話で、手に取るように状況が分かった。

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「『大変です、新竹さん! 客が殺到してすぐ売り切れました! 明日は100個お願いします』って。お客様からは『催事行ったけど売り切れよ! いつ行けば買えるの』って。タイミングよく12月に受けた取材がテレビで放送されたそうです」

2日目の100個は10分で完売。3日目300個、4日目400個、週末には600個の注文が入り、最終日まで毎日完売が続いた。「容器の生産が追い付かなかったので、600個で勘弁いただいて。毎日600個作るのは必死でしたよ!」と浩子さんはあっけらかんと笑う。

これをきっかけに、BSE騒動で10分の1に落ち込んだ売り上げは急速に回復し、再び軌道に乗った。

「モー太郎は、会社を救ってくれた救世主です」

このとき、浩子さんはまだ社長ではない。まして、後に愛子さまがあら竹の駅弁を食べることなど、想像もしていなかった。

みつはら まりこ フリーライター
1986年生まれ、香川県出身。大学卒業後、大手コーヒーチェーン店で6年、薬局事務8年の勤務を経て、2022年に独立。現在はインテリアデザイン・SDGs・社会福祉分野を中心に、オウンドメディア・PR記事・地方自治体の広報など幅広く執筆中。従来の常識や価値観をそっと解きほぐし、新しい生き方や心の豊かさに光を当てながら、誰かの小さな一歩となる記事を目指して取材を行う。
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