しかし、そうした学習を続けるための環境は厳しい。ネット環境は不安定で、通信網は設置されては破壊される状況が繰り返されている。充電も困難だが、住民たちは自作のコンセントや充電スポットを作り、1時間歩いて質の悪い電気を充電しに行く。
「子どもたちがよく言うのは、『10月7日以前に戻りたい』ということです。当時も軍事封鎖されていて決して自由ではなかったし、食料難もありました。それでも学校には通えて、生活ができていた。今は多くの子どもたちが食料難で生きるか死ぬかの状態で、夢を語ることは到底できません。
マハさんは『どうか寒い冬が訪れるまでには、完全に攻撃が止まることを心から祈っています。戦争がない国に生まれた人たちはなんて恵まれているのだろうか』とメッセージを送ってくれました」
親を亡くした子どもたちは、小さな兄弟の面倒を見るためにヤングケアラーとなるケースが多い。水を汲むために遠く離れた地まで歩く。近隣の大人に混ざって瓦礫の撤去も行う。
「もう早く死にたい」「爆撃に慣れてしまった」
極限状態の中で、「もう早く死にたい」と語る子どもたちも少なくない。自分で遺書を書く子どももいたという。イスラム教では自殺はタブーだが、そうした事例も報告されている。親を亡くした子どもたちの中には、イスラエル兵にわざと近づいて撃たれようとする者もいた。「家族と天国で再会したい」という理由からだ。
日常化した攻撃が、子どもたちの心を麻痺させている。サラさんは「(停戦後も続く空爆は)もう怖いと感じません」、ナディアさんは「爆撃が続くことに慣れてしまいました」と鈴木さんに胸の内を明かした。
「ガザの人たちは土地への愛着が強く、簡単にガザの外に出ればいいという問題ではありません。そもそも2007年から軍事封鎖されていました。この2年間、空・陸・海からの大規模攻撃で逃げ場はなく、検問所の封鎖も続くガザでは『自分たちが逃げられる場所は空の上(天国)しかないんだよ』というのを何度も聞いてきました」
戦争以前からイスラエルのドローンが上空を飛び交い、「天井のない監獄」と表現されるガザ。そこで行われる戦闘の特徴は、最新技術による徹底的な攻撃にある。
「停戦前にガザの職員と電話やオンライン会議をしていた時は、ドローンが近づいてくる音が聞こえることは何度もありました。『ブーン』という音です。その都度祈るのです。『どうか今この瞬間、同僚が狙われませんように』と。
ガザの知人は、恐怖で家のなかに隠れていたら、ドローンから外に出るよう声が発せられ、出たら上空から発砲されながら追いかけられました。まさに殺戮ゲームのような世界でした。ドローンが近づくと、自分の情報が精査されていると分かるので、極度の緊張状態に陥ります」


