イスラエル軍(IDF)とイスラム組織ハマスとの間で戦闘が始まってから2年が過ぎた。パレスチナ自治区のガザ地区では、10月10日にイスラエルとハマスの間で停戦合意が発効したあとも攻撃は止まず、今も不安定な情勢が続いている。

 ガザでは2万人以上の子どもたちが命を落とし、約64万人が教育の機会を奪われた。総人口200万人中、「人口の半分が子ども」と言われるこの地で、何が起きたのか。支援団体でガザ地区を担当する鈴木日名子氏(仮名)に、現地の子どもたちの実態を聞いた。

2025年11月10日、ガザ地区中央部のデイルアルバラ集団墓地にイスラエルから返還された身元不明のパレスチナ人の遺体が埋葬された ©AFP=時事

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学校も夢も奪われた子どもたち

 ガザは元々、ほぼすべての子どもたちが学校に通う、教育熱心な地域だった。初等教育の就学率は95%、中等教育の就学率は90%、識字率は97%に達しており、それは世界水準でみても極めて高い。しかし戦闘によって学校はほぼ全て破壊され、残った建物も避難所となったため、公教育を受ける機会は失われた。

「2024年1月から3月の2カ月間のみ公教育が部分的に再開され、10月10日の停戦以降は公教育が再開されつつあります。しかし、子どもたちが学校に戻ると、友達の誰が殺されたのかがはっきり分かる。それ自体がトラウマになるケースもあります」と鈴木氏は語る。

テントでつくられた仮設学習スペースで勉強するガザの子どもたち(写真=鈴木氏提供)

 授業再開後も、子どもたちは空腹で集中できない。学校は避難所でもあり、公教育の全面的な再開は極めて困難な状況だ。

「2年間にわたる大規模な攻撃で、夢をあきらめた子ばかりです。11歳のナディアさん(仮名)は戦争前には、『大人になったら貧しい人の力になりたい』と夢を語っていましたが、今は『生活は破壊されて、学校での思い出もすべて消えてしまった』と。

 それでも、勉強への意欲を失わずに、火をおこすために古着や教科書を燃やさざるを得ない状況でも、制服だけは持って逃げていた子どもたちもいました。11歳のサラさん(仮名)が通う学校では、机や椅子が足りず、床に座って週3回、理科や数学などを学んでいるといいます」

机や椅子が足りず、床に座って授業を受けることも(写真=鈴木氏提供)

独学で日本語を学ぶ高校生も

 空爆が続く中でも、懸命に学び続ける子どもたちがいる。

 16歳のマハさん(仮名)は2年におよぶ大規模攻撃にもかかわらず、継続して日本語を勉強している。アニメをきっかけに日本に興味を持ち、YouTubeなどのオンライン教材でコツコツと学習を続け、さらには独学で漢字や文法も学んでいる。

「ネットを通じてやりとりができる子もいます。マハさんは日本語でメッセージを送ってくれるのですが、漢字や難しい単語も使いこなしていて、一生懸命日本語を勉強しているのが伝わってきます」