年末恒例の「新語・流行語大賞」。今年で42回目を迎える同賞は、そもそもどのようにして始まり、いかにして注目を集めてきたのだろうか。一躍注目されるきっかけとなった“騒動”、ある理由で“選考対象から外された”言葉とは……?(全3回の2回目/続きを読む)

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『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の創刊号(復刻版)。1984年より始まった「新語・流行語大賞」は同書に収録の用語をベースに、自由国民社および大賞事務局がノミネート語を選出する

新語「パフォーマンス」が契機で賞が一躍注目されることに

 新語・流行語大賞が一躍注目される契機となったのは、1985年の第2回で、受賞語の一つをめぐって起こったちょっとした騒動だった。事の発端は、新語部門の銀賞に決まった「パフォーマンス」の受賞者として、当時の野党第一党である日本社会党(現・社民党)が選ばれたことだ。

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 社会党はこの年、党の基本方針を示す綱領となる「新宣言」の草案の副題に「愛と知と力のパフォーマンス」と掲げた。いまでこそ政治の領域でもパフォーマンスの語はよく使われるが、どうやら当時はまだ斬新すぎたらしい。発表されるや外部からは、このころ東京・原宿の歩行者天国で人気を集めていた劇男一世風靡と重ね合わせてか「社会党は原宿で踊りでもするのか」と反響を呼ぶも、党内では「流行語を綱領に入れるとはふざけすぎだ」など多くの批判を浴び、けっきょく削除された。

旧社会党時代より2013年に移転するまで東京・三宅坂に所在した社会民主党本部 ©文藝春秋

 そんな事情があるだけに、社会党は賞に選ばれたものの「受賞はおこがましい」と辞退する方針であった。だが、賞の主催者側は「新宣言から削除されたのは承知の上でわが方は入賞を決めた。あえて論議のまとになる言葉を世に問いかけた勇気ある表現活動と評価すべきだと考える。授賞式に出席して賞辞退の弁を述べてほしい」と粘り強く要請。党内でも「ここまで礼を尽くされては、断るのもどうか」との意見が出て、一転して賞を受け取ることを決める(『朝日新聞』1985年12月4日付朝刊)。賞を贈る側の気骨を感じさせるエピソードである。12月5日の授賞式には、党首の石橋政嗣(まさし)委員長に代わって田辺誠書記長が出席した。