年末恒例の「新語・流行語大賞」。今年で42回目を迎える同賞は、そもそもどのように始まり、いかにして今日まで注目を集めてきたのだろうか? 歴代の受賞語振り返ってみると……。(全3回の3回目/はじめから読む)

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歴代の受賞語からみえてくる“時代の変化”

 1984年の新語・流行語大賞の第1回では、時の中曽根康弘首相が「鈴虫発言」なる語で新語部門・銀賞に選ばれている。これは前年、ロッキード事件裁判での田中角栄元首相の有罪判決直後に行われた12月の総選挙において政治倫理の問題が大きく取り沙汰されるなか、中曽根首相が「『倫理、リンリ』とまるで鈴虫が鳴いているようだ」と揶揄した発言を指す。この賞ではその後も、為政者に対し、受賞という形で批判的なスタンスを示してきた。

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中曽根康弘氏 ©文藝春秋

 ただ、筆者が一介の野次馬として40年近くこの賞を見続けてきたなかで、そうした本来のスタンスから外れかけてきたのではないかと思った時期もなくはない。それは1990年代末から2000年代初めにかけてで、1999年には小渕恵三、2001年には小泉純一郎と時の首相が年間大賞に選ばれ、いずれも授賞式に出席した。

 小渕首相は自身の電話魔ぶりを表した「ブッチホン」で年間大賞に選ばれ、授賞式では同時受賞となった「雑草魂」の上原浩治(当時・巨人)と「リベンジ」の松坂大輔(当時・西武)の両投手に挟まれながら、「私も(選挙区が同じ)中曽根(康弘)、福田(赳夫)両総理のあいだで雑草魂で頑張りました。このあいだの総裁選もやりまして、リベンジにも縁があるんです」と洒落っ気を交えて挨拶している。小渕首相は就任1年目の前年にも、自身の語彙の乏しさを卑下して言った「ボキャ貧」で特別賞を受賞していたが、そのイメージを覆す堂々たるスピーチだった。

小渕恵三氏 ©文藝春秋

 小泉首相にいたっては、「米百俵」「聖域なき改革」「恐れず怯まず捉われず」「骨太の方針」「ワイドショー内閣」「改革の『痛み』」とじつに6語での受賞となった。マスコミが批判の意も込めて名づけた「ワイドショー内閣」で一応バランスはとったのだろうが、トップテンに入った「塩爺」(小泉内閣の塩川正十郎財務大臣のニックネーム)も含めて、ここまで大盤振る舞いしては政権の宣伝の片棒を担いでいるのも同然ではないか……と当時の筆者は思ったものである。小泉内閣からはこのあとも、総選挙で与党・自民党が大勝した2005年に「小泉劇場」が年間大賞を受賞し、その印象はいっそう強まった。