審査委員長・草柳大蔵氏が記したこと

 このときの「委員長見解」には《マスコミの各メディアでは、すでに、「オウム眞理教(原文ママ)」用語を比喩的にせよ使用している例があることは知っている。しかし、遺族や被害者の苦衷を新たにひき出すような表現行為は一切したくはないし、するべきではない、という立場もあっていいのではないか、というのが委員会の立場である》とも記され(木下幸男『「流行語大賞」を読み解く』NHK出版・生活人新書、2006年)、草柳氏のジャーナリストとしての矜持を感じさせる。同時にこの文章は、オウムばかりでなく、報道を過熱させるマスコミへの批判も込められていたようにも読める。

草柳大蔵氏 ©文藝春秋

 新語・流行語大賞の歴史をひもとけば、1988年には、昭和天皇の病状悪化にともない全国に広がった「自粛ムード」や、ソウル五輪で問題となった「ドーピング」なども候補に挙がったが、「受賞者が不明」「印象が悪い」との理由で選ばれなかったという(『中日新聞』1988年12月2日付朝刊)。

 今年でいえば、「日本人ファースト」という語がこの一年を象徴する言葉のひとつであることは多くの人が認めるところだろう。だが、新語・流行語大賞ではノミネート語にさえ入らなかった。それも過去に選ばれなかった言葉を見れば、おのずと理解できるのではないか。

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「新語・流行語大賞」2025年のノミネート語(自由国民社HPより)

 もちろん、「日本人ファースト」がオウム語などと同じというつもりはない。ただ、筆者としては、そういう言葉が出てくる背景は理解しつつも、この言葉のもとに排除されたり傷つく人たちがいるとするなら、少なくともこの賞にはふさわしくないように思われる。賞を贈ることで、そのような被害を容認したととられてしまう懸念もあるだろう。

 もちろん、過去の受賞語を振り返れば、全部が全部、ポジティブな言葉ばかりというわけではない。その点だけ切り取れば、「軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語」を選ぶとしたこの賞の規定に反しているとも思える。しかし、それをこの賞は、ここでも受賞者の人選をもって言葉を選んだ意図を明確に示すということでクリアしてきた。

忖度まんじゅう(ヘソプロダクションのHPより)

 たとえば、2017年の年間大賞に選ばれた「忖度」では、発信源である森友学園の籠池泰典氏ではなく、「忖度まんじゅう」なるものを発売した会社の社長に賞を贈った。こうしたケースからすると、受賞者の人選そのものが「軽妙に世相を衝いた表現」として一種の風刺になっているともいえる。(つづく)

次の記事に続く 「流行語が生まれなくなった」と言われたが…「言葉ってやっぱり面白い」新語・流行語大賞が賛否両論になる“納得の理由”

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