『反知性主義者の肖像』(文春文庫)

 排外主義、隣人への攻撃が蔓延し、ポピュリズムが台頭する日本社会。

 内田樹さんの『反知性主義者の肖像』文庫化特別企画として、東京女子大学学長の森本あんりさんとの対談が実現しました。

 2015年刊行の『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)が10年後の今、20刷とロングセラーになっている森本さん。文庫の巻末に掲載している対談の一部を抜粋してお届けします。

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森本 この本の中の「反知性主義者たちの肖像」という一篇は今読んでも深く刺さるものがありますね。つまり、知性とは何か、ということなんです。ここに書いてあることと、今我々が現実に目にしているものの間には、密接な関係があります。

 先日、保守系の運動家だったチャーリー・カークが暗殺されましたが、チャーリー・カークの話し方というのは、ディベートなんですよ。相手に言葉を定義させて、ストックフレーズで打ち負かし、やり込めることに目的がある。「Prove me wrong(俺の間違いを証明してみろ)」という方式で。そして、それをYouTuberが都合の良いところだけを上手に切り取って見せる。こういうのは、最も知性の働きから遠いところにあると思うんです。内田さんはご本の中で、知性というのは協働で発揮されるものだとおっしゃっていますね。

内田 僕は、知性を個人の属性ではなくて、集団的に考量すべきものだと思っているんです。集団全体の知的パフォーマンスを上げたという事実によって、事後的にその人は「知性的だった」と評価される。

森本 誰かが得意げに喋っていて、みんながシーンと黙りこんでしまう状況は決して知性的ではありませんね。

内田 その人が喋ってるうちに、みんながそれに刺激されて、次々と「ちょっと話したいことを思いついた」と言い始める。そういうのが良質な知性の働きなんじゃないかと思います。

内田樹さん (撮影:釜谷洋史)

わかりやすい「正解」を求める学生たち

森本 ここ数年は授業で教える機会があまりないのですが、最近、授業が終わった後に、「先生、今の話はこういう理解で合ってますか」って確認しに来る学生が増えたなと感じています。こちらは、合ってますとも間違ってますとも言っていないし、Aかもしれないし、Bかもしれない、と話しているのに、「先生の話は究極的にはAということなんですよね」と確認しにくるのです。

内田 それ、ありますね。複雑なことを複雑なまま扱い、正解がない問いを正解がないまま考え続けるということに耐えられず、単純化して、結論を下して、安心したい。

 神戸女学院大学に在職中に、同じ学科に旧約聖書学が専門の先生とアメリカのユダヤ人文学を研究している先生と僕とユダヤの専門家が3人いたので、リレー式でユダヤについて半期の授業をやったことがあるんです。その時に、僕は近代反ユダヤ主義の話をしたのですが、レポートを出させたら、「先生のお話を聞いてユダヤ人が世界を支配していることを初めて知りました」と書いてきた学生がいた(笑)。授業では、どうしてそういう陰謀論が生成したのか、その歴史的文脈をたどってきたのですが、いったい僕の話の何を聞いていたのか……。「どうして単純な陰謀論的思考に人は陥るのか」についての授業から学んだのが陰謀論だった……ガックリきました。

ストンと腑に落ちずに混乱してほしい

森本 ディベートでも授業でも何でもそうなのですが、終わった後に、「ああ、本当に今日は素晴らしいお話で、よくわかりました」「もうストンと腑に落ちました」などと言われると、「え、ちょっと待ってくれよ」と思ってしまうんですね。

内田 そうですよね。こちらは混乱してほしくて授業やってるのにね。

森本 「これはどういうことだろう」と訳がわからなくなったら、その後、自分で勉強するじゃないですか。そういう状態に陥ってほしいのです。

内田 教師は正解を教えるためにそこにいるわけじゃない。学生たちの頭の中がひっかきまわされて、消化できなくてモヤモヤするものを抱え込むからこそ知的成長はあるわけです。シンプルな正解を与えるのならAIで用が足りる。人間の教師ができるのは、正解を与えないで、学生たちを宙吊りにすることなんですけどね。

森本 カークの話でちょっとだけ付け加えておくと、彼はオックスフォードなどのエリート大学にも行ってディベートをけしかけています。それを見ていると、大学生の方ははじめから高卒のカークを軽蔑しているんですね。

 まさにそれが彼の思うツボで、「鼻持ちならない知的エリート」という印象が出てしまう。殊にイギリスのような階級社会で大衆が抱く反感もよくわかります。あの部分だけは、わたしも自分の中で反知性主義のツノがにょきにょきと生えてくるのを感じました。

森本あんりさん (撮影:釜谷洋史)