家計のためにきょうだいで新聞配達、月の小遣いは「50円」
武論尊さんは1947年6月、佐久市で米農家をしていた両親のもと、6人きょうだいの末っ子として生まれた。本名は、岡村善行。祖母も同居しており、9人で暮らしていた。
「当時は教科書が無償じゃなくてね。うちにはお金がなかったから、ずっと姉ちゃんのおさがりを使ってたよ」
家計を助けるために子ども全員で新聞配達をして、稼ぎは毎月1000円。そのうち500円を親に渡し、残りの500円はきょうだいで山分けした。末っ子の武論尊さんに渡されるのは、50円。この50円を握りしめて、映画館に通った。当時の映画料金は大人ひとり数十円で、子どもは半額だったから、50円あれば2、3回、映画を観ることができたのだ。
「まだテレビが広まってない時代だったから、映画館でニュースをやるんですよ。それが好きでね。大相撲で誰が優勝したとか、日本でなにが起こっているかを知るのが楽しかった。小遣いはぜんぶ映画に使ってたよ。いつもひとりで行くから、映画館の窓口の人がそっと入れてくれたりしてね」
武論尊さんにとって、映画は月に数回だけの贅沢。普段は図書館の本を借りて、片っ端から読んでいた。フランスの小説家、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』『地底旅行』や、新聞に掲載されていた源氏鶏太のサラリーマン小説を愛読していたそうだ。
「貧乏がイヤで」成績は良かったが、中卒で航空自衛隊に
中学1年生の時に父親が亡くなり、実家を継いだ長男から「学年トップになったら、テレビを買ってやる」と言われた。その一言で奮起した武論尊さんはすぐに学年トップに立ち、テレビを手に入れる。しかし、そのまま勉強で成り上がろうとは思わなかったという。
「もともと120人ぐらいの中学校だったんだけど、統合されて450人ぐらいになったんだよ。そしたら学年でもトップ10に入るか、入らないかぐらいでね。もともと勉強は大嫌いだったから、もういいやって。おれは基本的に一生懸命やらないの。必死に勉強して1位になれなかったら逃げ場がないでしょう。それより、勉強してないのに10位ってすごいだろう、本気を出したらもっとすごいんだぞっていつも逃げ場を作るんです(笑)」
それでも成績は良かったから、兄からは「大学まで行かせてやるぞ」と言われていた。ところが、武論尊さんは中学卒業後、自ら志願して航空自衛隊に入る。「貧乏がイヤで、とにかく家を出たかった」というのが理由だ。
航空自衛隊は、15歳の少年の想像を超える場所だった。当時(1963年)は終戦から20年弱しか経っていなかったこともあり、所属部隊の小隊長は特攻隊の生き残りで、副隊長は帝国陸軍出身者。有無を言わせない理不尽な仕打ちや、先輩たちからの過酷なしごきが待っていた。

