辞職を決意した矢先に「よど号ハイジャック事件」が起こった
4年の教育期間を終え、三等空曹になった武論尊さんの配属先は、佐賀県の背振山レーダー基地。働き始めて4年目、浜松で研修があり、帰りに東京に立ち寄った。そこで先に自衛隊を辞めた本宮氏やほかの同期たちと再会した際、「東京はいいぞ、お姉さんを抱き放題だぞ」と煽られる。
「バカ言ってんじゃないよ!」と佐賀に戻って間もなくして、辞表を出した。東京に惹かれたこともあるが、別の理由もあった。3次元データを使った新しい兵器を開発する部隊への転属を持ちかけられていたのだ。
武論尊さんは、「勉強嫌いの俺にそんなのできっこない」と思っていたという。もうひとつ、年下の防衛大学校の卒業生が自分の上司として配属されるようになったのも、気にくわなかった。年下にこき使われるのは耐え難い。
こうしていくつかの要因が重なっての、辞表だった。ところが退職が決まり、有給休暇を消化していた時に、とんでもない事件が起こる。自宅でのんびりしていたら、ある日突然、呼び出しがかかった。何事かと基地に顔を出したところ、上官が深刻な顔をして言った。
「ハイジャックが起きた」
1970年3月31日、共産主義者同盟赤軍派が起こした「よど号ハイジャック事件」である。
国籍不明の戦闘機が現れ、戦争に突入しかけた
背振山レーダー基地は、蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。武論尊さんは、犯人グループに北朝鮮へ向かうよう要求された飛行機をレーダーで追跡する係だった。
よど号が朝鮮半島を北上している時、国籍不明の戦闘機が現れた。航空自衛隊では「警戒態勢」をDEFCON(デフコン)1から5のレベルで表す。デフコン1は「戦時状況に突入する状態」。武論尊さんの記憶ではこの時、「デフコン3か2まで上がった」。
武論尊さんをはじめ、基地の全員がレーダーで状況を把握しており、なにが起こるのか、固唾を飲んで見守っていた。もしよど号が撃墜されたら、デフコン1に引き上げられ、戦争に突入する可能性もあったそうだ。幸い、謎の戦闘機は去り、事なきを得た。これが、武論尊さんの航空自衛隊での最後の仕事になった。
