自衛隊を辞め「宴会部長」だった武論尊さんを見出したのは……
7年間働いた自衛隊を辞めた武論尊さんは、上京してプログラミングの学校に通った。ところが、先に除隊していた自衛隊の同期との飲み食いで散財して貯金が尽き、前期で退学。
その頃、「ブラブラしてるなら、うちに来ないか」と声をかけてきたのが、本宮ひろ志氏だ。「漫画家になる」と宣言して自衛隊を辞めた同期の本宮氏は当時、『男一匹ガキ大将』で人気作家になっていた。
渡りに船と、本宮プロダクションに転がり込んだ武論尊さん。宮本武蔵を描く新作『武蔵』の準備を進めていた本宮氏に求められたのは、資料集めだった。武論尊さんは図書館に通ったり、宮本武蔵が生まれ育った岡山まで足を延ばしたりして資料を作った。その資料のまとめ方がうまいと事務所内で評判になる。
「まず、俺が面白いなと思った実在する人物を列挙して、この時代に誰がいたって年表でまとめちゃう。それで、その人物がこんなことをしたと書き加えていったんだ。これは読みやすいと言われたよ」
与えられた仕事は、マジメにやった。しかし、「基本は働きたくない」のが武論尊さん。事務所で手持ち無沙汰にしていると「ベタを塗れ(指定されたところを黒く塗りつぶす作業)」と指示されることもあった。その時はわざとはみ出して塗った。「二度手間になるからやらなくていい」と言われるからだ。
武論尊さんが本領を発揮するのは、宴会。当時流行っていた映画『社長漫遊記』で三木のり平が演じた総務部長と同じく、「パーッといきましょう!」と声をかけ、どんちゃん騒ぎ。本宮プロでは「宴会部長」と呼ばれていた。
その様子を苦々しく眺めていたのが、週刊少年ジャンプで本宮氏の担当編集者をしていた西村繁男さん。いくら本宮氏の仕事の邪魔をしていると言っても、仲のいい武論尊さんを追い出すわけにはいかない。それでもなんとか本宮氏から引き離そうと一計を案じた西村さんはある日、武論尊さんに言った。
「原作でも書いてみない?」
よくわからないまま、武論尊さんは大学ノートに思いついたストーリーを書いて見せた。すると、西村さんの表情が変わる。
「ちょっと家に来い。このままでいいから、ちゃんと形にしろ」
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