そんなにも東大で打ち込んでいた野球を諦めたワケ
――お話を戻しますが、そんなにも打ち込んだ野球を諦めるタイミングもあったんですか?
斉藤 ありましたね。大学時代、僕はずっとピッチャー志望で、試合に出るときもピッチャーだったんですけど……これはもう小学校からの悩みで、僕の球はスピードはあるけど、コントロールがムチャクチャ悪い。「絶対にストライクゾーンに来ないだろう」ってキャッチャーに思われるくらい。
大学野球って「戦力にならないなら裏方に回ろう」という時期が来るんです。だいたい4年生になるまでに「チャンスを与えたけれど、難しそうだな」となったら“学生コーチ”というポジションへ転向することになる。
――それは3年生で決めるんですか。
斉藤 3年生でその決断を迫られました。「このままワガママを通すのは難しいぞ」って感じで。それで僕は4年生では学生コーチという立場になり、他の学生コーチやリーダーと練習メニューを組んで練習を主導し、掛け声をかけたりする役割に回りました。
それから「クセ分析」という役割がありました。相手ピッチャーのクセを分析して、どんな球種がくるか事前にわかるようにするんです。実際に使える使えないはセンスにより、まちまちなんですけど。
――では4年生は、野球の学生コーチをやりながら、自分の卒業後についても考えて。
斉藤 考えましたね。東大生ってインターンに行ったり自分で起業したり、社会的に開かれているタイプが結構いるんですけど、野球部の中にいると、自分から積極的に就活をしないと視野が狭くなっちゃって。
卒業した先輩が「OB訪問をしに来い」って言ってくれたり、自分の会社に優れた体育会系の人材を引っ張ろうと会社紹介をしに来てくれるんです。5大商社とかメディア系もあるんですが、そもそもスタートアップとかベンチャーとかいう視野はなかったです。
僕の大学生活はちょっと煮え切らない感じだったから「野球漬け以外の大学生活も送ってみたい」と思って、大学院に進むことを考えたんですけど、姉をはじめ家族から「一旦就活してみなさい!」と説得されて。「それじゃあどこを受けようか」という話になって……。
写真=三宅史郎 /文藝春秋
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野球漬けだった東大生生活から一転、就活することになった斉藤さん。第2回は、斉藤さんがテレビ業界を選択したワケ、そしてテレビ局員としての日々や、そこからどうやって売れっ子YouTuberになったのかなど、続く人生をうかがっていきます。〈つづく〉
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