この季節になると、スーパーには冬の果物がずらりと並ぶ。

 冬の果物の代表といえば、みかんとリンゴだ。というか、国内の果樹収穫量ではみかんとリンゴが抜きんでたトップ2に君臨している。2024年産の収穫量はリンゴが60万9200トン、みかんが55万9600トン。みかんとリンゴがときに順位を入れ替えながら、フルーツナンバーワンを争い続けているのだ。

 言うまでもなく、リンゴは青森と長野が一大産地。みかんはというと、和歌山県が圧倒的な日本一だ(“柑橘類”という大きな括りにすると愛媛県が逆転する)。

ADVERTISEMENT

 さらに和歌山県にあって特にみかんの生産が盛んな地域は、“有田みかん”でも知られる有田地域だ。有田川の流域、有田市や有田川町といった一帯が、みかんのトップブランドの産地なのである。

 そしてこの有田地域には、みかんを全国に流通させる立役者にもなったローカル私鉄が走っていた。有田鉄道線である。

ナゾの廃線「有田鉄道線」の痕跡をたどる 撮影=鼠入昌史

ナゾの廃線「有田鉄道線」とは?

 有田鉄道線はJR紀勢本線藤並駅を起点に有田川沿いを走って金屋口駅までの5.6kmを結んでいた。全線が現在の有田川町内に収まるという、実に小さな私鉄である。

今回の地図。現在、およそ2万4000人ほど(2025年11月時点)が暮らす有田川町。かつてこの町の市街地の只中を私鉄が走っていた。

 開業したのは大正時代初期の1915年から1916年にかけて。長らく沿線の地域輸送、また貨物輸送を担っていたものの、例のごとくモータリゼーションや沿線人口の減少によって経営が悪化していった。

 最末期に至っては1日わずか2往復、日曜休日にはそれすらも運休するという、山奥の過疎地を走る路線バスもびっくりの運転ダイヤになっていた。

 その頃のお客といえば、沿線の有田中央高校の生徒ばかり。通学の生徒を乗せるくらいならなんとか、といった程度の、息も絶え絶えの運行状況だったのだ。

 そして2002年12月31日をもって、有田鉄道線は廃止された。1日2往復だけの5.6kmの短いローカル私鉄。廃止による地域への影響も小さなものだった、などと言われている。

 それから20年と少し。廃線跡はどうなっているのだろうか。