――かなり秘境だったんですね。
鳥羽 そう。石鏡の子供にとって、同じ三重県でも伊勢なんてニューヨークに行く感覚だからね。今はバスも通って日帰りでも行けるけど、当時、近くの町に行くには1日3便の貨物を運ぶ定期船だけ。
――伊勢市は鳥羽市のお隣ですよね。道はなかったんですか?
鳥羽 人が通れるケモノ道みたいなのはあったよ。でも車は通れないから、夜中に重病人が出るとたいてい死ぬんだ。うちのばあさんも間に合わなかったな。
――ずいぶん過酷な土地だったんですね。
鳥羽 平家落人伝説があるとかないとか。ちょっと、神がかった町でね。小学校入ったくらいの時に、あの伊勢湾台風(1959年)に遭ったんだ。死者と行方不明含めて約5000人の大災害なんだけど、それが石鏡町の真上を通っていったのに、不思議なことに犠牲になった人はただの1人も出なかった。
――なぜですか?
鳥羽 通ったのが台風の目だったから。まわりの町はもうぐちゃぐちゃになったけれど、石鏡は静かなもんだった。家が揺れたり、ちょっと瓦が飛んだりはしたけれど。
「石鏡では、男の子より女の子が産まれたほうが喜ぶんだ。だって当時の男は働かないから(笑)」
――もしはずれていたら鳥羽さんも無事ではなかったかもしれませんね。当時、石鏡の人たちはどんな仕事をしていたんですか?
鳥羽 たいていの家の奥さんは海女さん。石鏡はアワビや魚も獲れるけれど、寒天の材料になる天草やヒジキなんかが有名なんだ。磯から歩いて潜る丘人(おかど)と、小舟から潜る舟人(ふなど)のふたつの漁法があるんだよ。
オヤジたちは、海女さんの手伝い。手伝いっていっても、どの家のオヤジも奥さんが海から上がって来るのを、のんびり寝転びながら待っている。
――のんびり?(笑)
鳥羽 そう。海女さんが海面に上がる時に、ロープを引っ張ったりはするけれど。あとは家の畑を耕す。けれど崖ばかりで土地が少ないからたいした作物は育たない。町に土木などの出稼ぎに行ったりもするけど、お金が入るとたいていどっかの家で賭け事している。
――「髪結いの亭主」みたいな感じでしょうか?
鳥羽 まさにそんな感じ。だから、石鏡では、男の子より女の子が産まれたほうが喜ぶんだ。赤飯を炊いて祝うんだよ。だって当時の男は働かないから(笑)。



