海の男の気持ちを歌い続ける演歌歌手、鳥羽一郎さん(73)。紅白出場20回を数え、デビュー曲であり代表曲の「兄弟船」など数々のヒット曲を持つ大御所歌手だ。
しかし歌手の道を歩み始めたのは弟・山川豊さんよりも遅い27歳になってから。ホテルの館内放送で大御所作曲家を探しての飛び込み弟子入り志願、突然の破門宣告、それを踏みとどまらせた一言とは……。(全4回の3回め)
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――鳥羽さんと弟の山川豊さんは、歌手を目指して同時期に上京されたんですか?
鳥羽 いや、弟が先。ある日、名古屋のカラオケ大会で優勝して、歌手を目指して上京するというんだ。
――山川さんのほうが先だったんですね。小さい頃、おふたりが初めて歌に触れたのはいつだったんですか?
鳥羽 俺が小学生の時かなあ。親父は蓄音機とレコードをどこからか買ってきてね。当時、うちはテレビもラジオもなかったから、それまで俺たち兄弟は歌謡曲を知らなかったんだ。
――蓄音機がラジオよりも先だったんですね。
鳥羽 うちの親父が映画館を経営した時……映画館といっても、庭先に掘っ立て小屋を建てて床にゴザを敷いたようなもんだけどね。映画館の客寄せでレコードをかけていたんだ。
僻地の映画館だから、あっという間に潰れたけれど、残された蓄音機でレコードを繰り返し聞いて覚えたよ。春日八郎さん、三橋美智也さん、フランク永井さんとか。おそらくそれが、子供のころ、流行歌に触れた最初だったんじゃないかな。
――お父さんが映画館を思いつかなければ、歌手・鳥羽一郎は、誕生しなかったかもしれませんね。山川さんが先に歌手になるため家を出た時、「自分も長男でなければ」という羨ましさはありましたか?
鳥羽 歌手なんて夢のまた夢。売れるか売れないか、なれるかどうかも分からないから、特にその時は弟に対してうらやましいっていう感情はなかったね。それに生きていくためには船に乗らなくてはならなかったし。
「弟にできるなら自分もできるんじゃないか」
――では当時、鳥羽さん自身は歌手になりたいという気持ちはなかったんですか?
鳥羽 だって別に音楽の勉強したわけでもないし、子供のころから歌が好きなだけ。ただ……そのうち「弟にできるなら自分もできるんじゃないか」という思いがふくらみはじめてね。
――それで27歳で上京されたんですね?
鳥羽 そう。「別れの一本杉」とか「王将」とか、大好きな曲の作曲家の船村徹先生に一度、会いたいと思って。もちろん弟子にしてくれたら嬉しいけれど、そう簡単にはいかないだろう。まずは会えればいい。それで弟に電話して「船村先生の居場所を教えてくれ」って。当時、弟は修業中の身でまだ暇だったのか、音楽事務所でお茶くみをしていた。




