海の男の気持ちを歌い続ける演歌歌手、鳥羽一郎さん(73)。紅白出場20回を数え、デビュー曲であり代表曲の「兄弟船」など数々のヒット曲を持つ大御所歌手だ。弟の山川豊さんと共に育った故郷や過酷な遠洋マグロ漁船の思い出、そして「兄弟船」の知られざる裏側のほか、弟や歌手になった息子たちへの想いを聞いた。(全4回の1回め)

鳥羽一郎さん ©文藝春秋 撮影・平松市聖

――「鳥羽一郎」さんのお名前でもあるように、ご出身は三重県の鳥羽市でしたよね? 断崖絶壁の「陸の孤島」で育ったとお聞きしましたが。

鳥羽一郎(以下、鳥羽) そう、だから芸能界に入った時はえらい苦労したよ。普通、挨拶って「こんにちは」「おはようございます」って言うじゃない? それが、うちの町の挨拶が「あ」「お」。

ADVERTISEMENT

――1文字! 東北の雪国の人よりも短いですね。

鳥羽 そう。人を呼ぶときは「すいません」とか普通、声かけるじゃない? それがうちの町では誰でも「おい!」か「やい!」(笑)

――目上の方にも?

鳥羽 そう。そんな言葉を詰める土地で育ってきているからさ、上京して芸能界に入った時、会う人に「やい!」と呼んでは叱られて。なかなか習慣だから直らないし、歌よりも方言を直すほうが大変だったんだ。

――それは三重弁ですか?

鳥羽 いや、俺の故郷の石鏡(いじか)町あたりの言葉だよ。たぶんその石鏡の町名だって、昔は「いしかがみ」だったんじゃない? でもほら、何でも言葉を詰めちゃう土地だから、町の読み方も「いじか」になったんじゃないかな。

「水道もなくて、共同井戸から水を汲んで運んで甕に貯めて使っていたんだよ」

――石鏡町? 鳥羽市のどのあたりですか?

鳥羽 三重県の東にある鳥羽市のなかでも、さらに一番、東の端にあるのが石鏡町。海岸線に沿った長細い町でね、昔は石鏡村だったんだけど、昭和29年に合併して鳥羽市石鏡町になったの。

 

――弟の山川豊さんとともに大御所歌手をふたりも出した、その石鏡町はどんな町なのか気になります。

鳥羽 今も昔も崖に家がへばりついている海沿いの小さな漁師町でね。俺が生まれたのは戦後の昭和27年(1952年)だけど、30年代になっても水道もなくて、共同井戸から水を汲んで運んで甕に貯めて使っていたんだよ。電気も日本のなかでかなり遅くて、テレビがついたのもだいぶ後だったんじゃないかな。