祖父の祖父の兄弟が「右翼の大物」頭山満
――そして超国家主義に傾倒した青年たちの憧れともなった「右翼の大物」頭山満の墓も撮影されています。頭山満は頭山さんとはどういう関係になるんですか?
頭山 高祖父の兄弟になります。祖父の祖父の兄弟。養子同士の兄弟だったそうなんです。中島さんが私に興味を持ってくださったきっかけの一つもそこでして、私が名刺を差し上げると小学生みたいに目をキラキラさせて感動していました。
――小さい頃から、頭山満という名前は聞かされていたんですか?
頭山 なんとなく先祖にそういう人がいるとか、祖父が参列した頭山満のお葬式には何やら怖そうな人が多く来ていたとか、その程度です。中島さんから頭山満の考えていたこととか、穏やかな人物だったらしいこととか、色々教えていただいて少しだけ身近になりました。
――それまでは遠い存在だったんですね。
頭山 そうですね。歴史というものは、私が想像できるような余地がないと思っていたのかもしれません。でも、今回の『超国家主義』の撮影の仕事で、歴史が現在に地続きになっていることが、体感できたかなと思っています。
戦争によって壊されたものは、私にも共通する
――頭山さんにとって、戦争や歴史を考えるきっかけになった写真作品はありますか?
頭山 私が一番尊敬する石内都さんの「ひろしま」です。広島の被爆者の遺品を撮影したものですが、目にしてまず「かわいい」って思ったんです。ワンピースの写真を見ながら「この服かわいいね」って話せる感じなのに、よく見ると焼け痕があったり、傷があったりする。そこがリアルで、急に戦争というものが身近になった気がしました。今まで見てきた戦争写真はモノクロばかりで、自分とは関係のない“歴史”として見てしまっていたんです。映画『この世界の片隅に』もそうだったんですが、戦争によって壊されたものは、私にも共通する日常なんだということに気づいたんです。
――石内さんとは実際にお会いしたことはあるんですか?
頭山 写真の専門学校に入ったばかりの18歳のときに、沖縄で写真家たちがシンポジウムや展覧会、ワークショップを開催したんです。そこで石内さんのワークショップに参加して写真を見てもらいました。
――反応はどうだったんですか。
頭山 新宿のスナップやポートレートをモノクロで写したものだったのですが、「全然わからないわ」って一言(笑)。それが悔しくてショックで、いつかリベンジしたいって思ってたんです。それで4年後くらいに公募展があって、そこに作品を出したら石内さんが選んで評価してくれたんです。沖縄のことを本人に話したら、全然覚えてませんでしたけど、それ以来お付き合いをさせていただいています。