数ある駅そばの中でも、その衝撃的なビジュアルから圧倒的な人気を誇り「日本一の駅そば」とも評されていた、JR宗谷本線・音威子府駅の「音威子府そば」。
近年は周囲の過疎化が進むとともに、そばを提供していた「常盤軒」の3代目店主である西野守さんが亡くなったのをきっかけに、2021年に閉店となってしまった。そのアイデンティティである真っ黒なそばの唯一の製造元である畠山製麺も2022年に廃業し、多くの鉄道・駅そばファンが悲嘆にくれた。そんな中、関東で音威子府そばを提供していた有志が再現を試みて2025年7月に期間限定で駅そばとして復活した。
とはいえ、音威子府は以前こそ国鉄の拠点があり、多くの鉄道会社員が働くなど賑わいを見せていたが、近年は前述の通り過疎の一途をたどる。駅周辺の建物や人影はまばら、音威子府駅の利用者も1日に50人程度と寂しい限りである。
そのような駅で、なぜ日本一の駅そばは大復活を果たせたのか。復活に携わった人物たちとともに、音威子府村長にも話を聞き、全国から姿を消しつつある駅そばの存続や、復活のヒントを探っていく。(全2回の2回目/最初から読む)
なぜ、復活できたのか
音威子府そばを復活させたのは、もともと建設会社に勤務していたという店主・竹本修さんだ。「お客さんに直接喜んでもらえる仕事がしたい」と、退職後にサービス業に転じ、元・衆議院議員の杉村太蔵さんの起業応援プロジェクトの一環として開設された駅付近のゲストハウス「イケレ音威子府」の運営を引き継いだ。
とはいえ、もともと音威子府そばの熱狂的なファンだったわけではなかった。この時点では自分が復活運営に携わることなど、想像もしていなかったそうだ。


