「じゃあもう着エロで1位になってやる」って思っちゃった

――ひどいですね。手島さんがやっている頃は着エロブームで、各社儲かっていた頃ですね。ある会社は自分の愛人でもあるアイドルと一緒にドバイに行って、そこで撮影したものをDVDにしていました。

手島 私も着エロが盛り上がっている時代だから「じゃあもう着エロで1位になってやる!」って思っちゃって、企画会議に参加して提案してました。ある子が「おてもと」って書いてある割り箸の紙袋で胸の先端を隠しているグラビアをやっていて「やられた」と思って。インパクトで勝ちたいと考えて「シジミで隠した人はいないからどうですか?」と提案して。さすがに通らなかったですけど(苦笑)。

©︎鈴木七絵/文藝春秋

月収10万円の事務所から一番入りたい事務所へ移籍

――生活はどうされていたんですか。

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手島 当時月10万円くらいの収入だったので、実家から仕送りをもらってたし、家賃も払ってもらってました。事務所に給料の話をすると「お前がテレビや雑誌に出られているのは事務所が頑張っているからだ。かわいいわけでもないんだから、文句を言うな」と言われて。

――本当に酷い事務所ですね……。現在も所属するプラチナムプロダクションにはどういう経緯で入ったんですか?

手島 その当時の事務所の社長から「もう事務所を畳むから別の事務所を探してくれ」と言われて。それで知人がプラチナムのマネージャーと知り合いだと聞いて「えっ、プラチナムって今一番入りたい事務所なんだけど。ぜひ紹介してください!」と言って、連れて行ってもらいました。面接を受けたら、その日に「じゃあ、いつ入る?」と言ってもらえて。27歳のときでした。

©︎鈴木七絵/文藝春秋

――手島さんはプラチナム移籍後に、バラエティー番組への出演も多くなっていきます。テレビ東京の「ゴッドタン」によく出演していた印象です。

手島 「ゴッドタン」はプラチナムに入って1番目の仕事でした。当時、番組にマネージャーのなかむ(中村義幸さん)と一緒に出ていたんですけど、なかむが気に入られていて。マネージャーのバーターで私が出てたんだと思います(笑)。

「自称ド変態のドエロ」実際は下ネタを下調べ

――手島さんはメディアでは「自称ド変態のドエロ」と自身で語ったり、セクシーなキャラを前面に押し出して徐々に人気となっていきます。当時の雑誌のインタビューを読むと、自ら下ネタ方向に話を持っていっていました。

手島 そっちに持っていけという雰囲気でみんなが来るから(笑)。実際は下ネタとかエロい言葉、仕草、行動を雑誌とかを読んでめっちゃ勉強してました。バラエティー番組って急にそういう知識を求められる時があるんですよ。その際に瞬時に対応できないといけない。

©︎鈴木七絵/文藝春秋

――エロキャラの裏にそんな苦労があったのですね。

手島 バラエティーは前に出ていかないとすぐに番組に呼ばれなくなっちゃう。エロい「手島優」になりきらないと仕事にならないので。