仕事が増えても女優の道は開かれず

――手島さんはもともと女優をやりたかったわけですが、お仕事はバラエティー番組がメインになりました。どこかで女優になるのは難しいと感じましたか。

手島 無理かなとは序盤に気づいてました。ただ30歳の時に初めて山田ジャパンさんの大野泰広さん脚本による舞台「いい嘘、悪い嘘」で主演をやらせていただいたんです。田舎から上京してきた普通の真面目な女の子の役で、役作りもしっかりやらせてもらいました。

 当時のマネージャーからは「今後は女優に押すから」と言われて「マジか?」と思ったけれど、その後も仕事は全然変わらなくて。演技の仕事が来ても夜職とかエロい役ばかりで「こんだけやっても変わらないんだ。私に求められているのは結局そっちなんだ」と諦めました。仕事は増えてるけれども、女優の道は厳しくて。現実を見せられ、自分を知るみたいな感じですかね。

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©︎鈴木七絵/文藝春秋

――でも子供の頃からの夢で、芸能界で頑張る支えでもあった女優の仕事の選択肢がなくなるわけですよね。自暴自棄になりませんか。

手島 めっちゃなってました。そこからは遊んだり、髪を染めたりしました。遅くまで飲んで、そのまま仕事に行ったりと、ちょっとやさぐれちゃって。ただ仕事でトラブルをやらかしたことは一切ないんですよ。二日酔いでも全然仕事のパフォーマンスは落ちてない。ただ、多少むくんでいるくらい。

仕事が減ることをいろんな人のせいにして、やさぐれて

――その頃から、仕事自体は徐々に減っていたそうですね。

手島 そうなんです。仕事が減っていたこともあって、お酒を浴びるほど飲んで現実逃避してました。女優にもなれない。仕事は減っている。酒を覚えた。あれだけ体を張って「お前はこれをやれ」「台本に書いてあることより、もっとできるでしょ。期待しています」と言われ、それに反応して全力で頑張ってきたのに。旬が過ぎたらもう使わないのかよ。

 あれだけ一緒に頑張って、一緒に物を作ってきたのに新しい子が出てきたらポンと使われなくなるんだとショックすぎて。

 あと当時はグラビアをやっていた子がだんだんとテレビに出られなくなる頃でもあったんです。仕事が減ることをいろんな人のせいにしてました。切り捨てられたのも仕事が減っていくのも全部自分のせいなんですけど、その当時は人のせいにしたくて。なので朝からお酒を飲んで、テレビを見ながら「なんで、こいつが出てんの?」って言ってました。

――人のせいにしなくなったのはいつの頃ですか。

手島 それこそ最近。結婚してからです。それまで5年くらいはスーパーやさぐれ期でした。

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