どこに誰が住めるのかもわからなかった
焼失地区は細い道路に家が建ち並び、港町の輪島らしさを醸し出していた。だが、建築基準法で建物の敷地は幅4m以上の道路に2m以上接していなければならず(接道義務)、家が建てられた当初は適法だったとしても、その後の法律で不適格になっている(既存不適格)。焼失で更地になり、改めて建設するとなると、接道義務を果たせない土地が多く、再建が難しかった。
そこで、「輪島の良さを残すため、被災前からの細い道路はそのまま残しつつも、一定の幅があった朝市通りに加え、新たに幅5mの道路を海側に1本、山側に2本通すと決まりました」と日吉さんが説明する。
区画整理では、こうした公共用地に使われる面積は、それぞれの地権者から一定割合で減らされる(減歩)。そもそも土地が少ない輪島では狭い敷地に家を建てていたのに、これではますます狭くなって再建が困難になると指摘されていた。跡地には災害公営住宅も建設される予定なので、その分の用地も必要だった。そこで、大口の地権者や再建を諦めた人に用地を提供してもらい、再建を目指す人の減歩はゼロにした。
50代の女性は「私は家を焼失しました。夫と2人暮らし。子供は帰って来ないので土地は提供し、新たに建設される復興公営住宅に入ろうと決めました」と話す。
区画整理されたエリアのどこに土地が割り当てられるかの「換地案」は11月に示された。
「今まで皆さんピンと来てなかった面もあると思います。しかし、換地案が出た瞬間に目の色が変わりました。ようやく具体的に考えられるようになったのです」と日吉さんは話す。
ただ、すんなり進むかどうかは分からない。「考えていたのと違う」などという声も出ているという。
「まだ理想を語っている段階です」
他にも課題がある。20~30坪(約66~99平方m)の狭い土地に住んでいた人もいるが、建築基準法で建ぺい率(その敷地で家を建てられる面積の割合)の規制があり、以前のように敷地いっぱいの家を建てることは不可能だ。「どうすればいいのか」「土地を買って増やしたいけど、売ってもらえない」と嘆く人もいるようだ。
「広場を造るなど、跡地には様々な案が出ています。でも、まだ理想を語っている段階です。まずは家を再建する人の用地が決まらなければ、次に進めません」と日吉さんは指摘する。
その段階になれば、立場を超えた意見のすり合わせが必要になる。地権者、商店街、さらに通りに露店を出していた朝市の人々だ。
輪島市全体のまちづくりを考えるならば、周辺の焼けはしなかったが、家屋の倒壊が多かった地区との連携も必要だろう。現在はまだ、「家が焼けた人は焼けた人だけで話している。すぐ近くに住んでいるけど、私らには何も分からない」(70代女性)と話す人もいる状態だ。
「輪島の顔」のような地区なので、周辺地区と協力しながら盛り上げていくなど、これからの舵取りが重要になるだろう。その点、燃えた場所と燃えなかった場所の“中間点”に位置する日吉さんは、立場の異なる人をつなぐ適材と言えそうだ。




