「神戸は映画発祥の地で、近くには神戸大学があったので、西灘劇場には学生さんや映画ファンの方がちらほら来てくれたんです。ただ、西脇大劇は田んぼの中にぽつんと建つ、ぱっと見では映画館と気づかれないような場所で、客席もほとんど埋まることがありませんでした」

1990年代後半から2000年代にかけて、シネコンが急増。その影響で町の映画館からは客足が遠のき、閉館に追い込まれる劇場も相次いだ。西脇大劇もご多分に漏れず、閑古鳥が鳴く日々が続いていた。そんな状況に、さらに追い打ちをかける出来事が起こる。

「2004年のことです。夜中にニュースを見ていたら、台風で町が水没している映像が流れて。『大変な状況になっているな』と思いながら眺めていたところ、見覚えのある場所が映ったんです。

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そうしたら明け方に『映画館がえらいことになっている!』と連絡があって現地へ向かったんですが、もう別世界でした。西脇大劇の周りが砂の惑星のようになっていて、劇場の扉を開けると、すり鉢状の造りのせいで水が溜まり、館内がプールみたいになっていたんです」

上映作品を見直しゼロからのスタート

もう営業の継続は不可能かと思われた。しかしこの経験が、その後サンサン劇場を運営する上での戸村さんの基盤をつくることとなる。

プールのようになってしまった西脇大劇。しかし戸村さんたちは、何とか運営を続ける方法を模索した。

「映写室は電気系統がやられていたんですが、映写技師さんに見てもらったら『修復できる』と。スクリーンも奇跡的に水位があと1cmというところで止まっていて、買い替えずに済みました。実はその数年前に西灘劇場が閉館していて、『西脇で何かあった時のストックに』と、使っていた椅子を大量に倉庫に残していたんです。座席数は減りましたが、椅子を付け替えて営業を再開することができました」

水没した映画館は、わずか3週間の休館を経て営業を再開した。その時に戸村さんは「ゼロから別の劇場として始めよう」と考え、運営のやり方を変えた。